ジュンテンドー

株式会社ジュンテンドー
JUNTENDO CO., LTD.
種類 株式会社
市場情報
東証スタンダード 9835
1989年3月23日上場
本社所在地 日本の旗 日本
699-3676
島根県益田市遠田町2179番地1
設立 1948年(昭和23年)6月
(有限会社飯塚順天堂駅前薬局)[1]
1894年明治27年)10月
(創業)[1]
業種 小売業
法人番号 5280001005032 ウィキデータを編集
事業内容 ホームセンター、書店等
代表者 代表取締役社長 飯塚正
資本金 42億2,425万円
売上高 435億1240万円
2019年2月期)
純資産 104億76百万円
(2015年2月)
総資産 338億53百万円
(2015年2月)
従業員数 605人(正社員、2019年2月末)
決算期 2月末日
主要株主 飯塚正 27.52%
有限会社サンデーズ 13.29%
山陰合同銀行 4.53%
ジュンテンドー社員持株会 4.40%
アイリスオーヤマ 2.77%
山口銀行 2.28%
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口4) 1.85%
第一生命保険 1.83%
杣山令子 1.76%
大田圭子 1.75%
(2019年2月28日現在)
外部リンク https://www.juntendo.co.jp/
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営業本部を置いている安芸府中店

ジュンテンドー (: JUNTENDO) は、島根県益田市に本社を置く株式会社ジュンテンドー[1][2] (: JUNTENDO CO., LTD.) が運営する日本ホームセンター東京証券取引所スタンダード市場上場

概要[編集]

中国地方近畿地方大阪府滋賀県を除く)と三重県名張市に127店舗(2021年2月現在)を展開している。以前は地域密着型の店舗作りを基本としており、1店舗当たりの面積は900 - 2000m2と小さめで、近年の5000m2級の大型ホームセンターとは一線を画していたが、マイン峰山店、茶屋町店、西舞鶴モール店のような大型店舗も存在し、今後大型化を進めている。

また、書店(ブックセンタージャスト)も経営している。

過去には、祖業である薬局ドラッグストア事業(サンデーズ)や、島根県松江市出雲市鳥取県米子市西伯郡伯耆町カー用品店イエローハットフランチャイズチェーン店の運営を行っていたが、現在は他社へ譲渡している。

名称はかつて「順天堂」と漢字表記されていたが、ツムラおよびバスクリン(旧社名「津村順天堂」)や、順天堂大学とは全くの無関係である。また、キャッチフレーズの「暮らし、いきいき」はジュンテンドーと同じく島根県に本社を置くスーパーマーケットみしまやも使用しているが、こちらも全くの無関係である。

沿革[編集]

1877年10月17日山口県佐波郡佐波村(現防府市)第403番屋敷にて、渡邉文市生誕する。14歳の時、父の死去により中学2年で中退し、防府の柏木薬店(店主・柏木幸助)に勤務する。

1894年10月、防府の生雲瀧次郎の援助により島根県石見国美濃郡益田町折戸(現・益田市折戸)にて「順天堂薬店」を開店する。「順天堂薬店」の近所に「第五十三国立銀行」(現・山陰合同銀行)益田支店長の飯塚正居が住んでいた。正居はかねてから文市の誠実な生活態度にほれ込んだ。文市は、正居の一人娘のリョウ(正居の妻ツネの兄・平田正表の長女を養子としてもらっていた)と結婚し飯塚文市となる。

1907年4月、「日本薬局方」(第3版)等の施行にともない、薬業は近代化されつつあった。文市は医師の処方箋により調剤のできる「薬局」を目指し、従兄弟の足立滋春を「大阪薬学専門学校」へ進学させた。滋春が卒業するまで島根県薬剤師会幹事・薬剤師虎谷常太郎を雇用し、店舗改装し「飯塚順天堂」が誕生する。

「なんでもあるくすりや」と命名し「明治のドラッグ・ストア・順天堂」と呼ぶにふさわしい店舗で日常品から食料品まですべてを揃えた店舗であった。薬の製薬および販売において富山の薬売りが独占していた市場を次第に掌握するようになる。「順天堂」の名は遠く松江・山口まで知られわたるようになる。その後息子の幸一が東京薬学専門学校(現・東京薬科大学)を卒業し薬剤師となり家業を継ぐ。

1941年、島根県でも島根県医薬品統制組合が発足し、初代理事長に松井義三郎(松井薬局本店)が就任した。また、県内7地区(松江能義邇摩邑智那賀美濃鹿足)に医薬品小売統制組合が結成され、美濃地区の理事長には幸一が選任された。

1943年5月、島根県医薬品統制組合は、島根県医薬品統制株式会社に発展し、加藤丈太郎(加藤二星堂)が社長に就任した。

1943年6月には戦時統制令によって「島根県売薬生産統制株式会社」が設立され、県下各薬局の自家製剤権はすべてこの会社に譲渡することとなった。幸一も父・文市時代からの製薬権を譲渡した。

戦後、1948年6月1日に益田駅前の角地(現・益田薬局の場所)に「有限会社飯塚順天堂駅前薬局」を資本金25万円で設立。幸一が病床につくようになり長男・道正が東京薬学専門学校を卒業し慶應義塾大学病院薬剤部に勤務していたが退職し、1953年2月1日、資本金100万円に増資し「有限会社飯塚順天堂薬局」に商号変更。

道正は、日本薬局協励会主催の全国大会にて経営コンサルテングの松香のアメリカドラッグ・ストアについての講義を聞いて、すぐさまアメリカのドラッグ・ハウスの資料をとりよせ日本式ドラッグ・ストアの「薬局+荒物雑貨」を目指すこととなる。これが今日の「ホームセンター」+「ドラッグストア」の原点となる。

しかし薬品関係のディスカウントにはブレーキがかかる。薬品メーカーへの代理店契約の破棄を通告したところ、クレームがついた。さらに薬品の値引き販売を察知した薬品組合からも、激しい圧力がかかってきた。

結果「ホームセンター」としての店舗展開をしていくこととなる。

年表[編集]

店舗[編集]

現在営業している店舗[編集]

過去に存在した店舗[編集]

  • 平野店(大阪市)…現 喜連瓜破セレッソコートマンション群に店舗あった。
  • 泉大津店
  • 香芝店
  • 仁豊野店
  • 八鹿店
  • 真備店 - 西日本豪雨で被災し、そのまま閉店となった。
  • 大安寺店
  • 原尾島店
  • 宍道店
  • 三刀屋店
  • 十日市店
  • 古市店
  • 長門店
  • 柳井店
  • 久世店[3]

関連項目[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 流通会社年鑑 1997年版, 日本経済新聞社, (1996-12-04), pp. 791 
  2. ^ 会社概要株式会社ジュンテンドー 2020年2月8日閲覧
  3. ^ https://www.pref.okayama.jp/uploaded/attachment/133418.pdf

広報資料・プレスリリースなど一次資料[編集]

外部リンク[編集]