ジャン=リュック・ゴダール

Jean-Luc Godard
ジャン=リュック・ゴダール
ジャン=リュック・ゴダール
本名 Jean-Luc Godard
別名義 ハンス・リュカス
Hans Lucas
生年月日 (1930-12-03) 1930年12月3日
没年月日 (2022-09-13) 2022年9月13日(91歳没)
出生地 フランスの旗 フランス共和国 パリ7区
国籍 フランスの旗 フランス
スイスの旗 スイス 二重国籍
職業 映画監督編集技師映画プロデューサー映画批評家撮影監督俳優
ジャンル 映画ビデオ映画テレビ映画
活動期間 1950年 - 2022年
活動内容 1950年 批評家としてデビュー
1954年 短篇『コンクリート作業』を監督
1959年 長篇『勝手にしやがれ』を監督
1968年 五月革命第21回カンヌ国際映画祭を粉砕
1968年 「ジガ・ヴェルトフ集団」を結成
1979年勝手に逃げろ/人生』で商業映画へ復帰
配偶者 アンナ・カリーナ (1961年 - 1964年)
アンヌ・ヴィアゼムスキー (1967年 - 1979年)
アンヌ=マリー・ミエヴィル (非公式 : 1973年 - )
主な作品
勝手にしやがれ』(1960年)
女は女である』(1961年)
女と男のいる舗道』(1962年)
軽蔑』(1963年)
はなればなれに』(1964年)
アルファヴィル』(1965年)
気狂いピエロ』(1965年)
男性・女性』(1966年)
中国女』(1967年)
ウイークエンド』(1967年)
勝手に逃げろ/人生』(1980年)
パッション』(1982年)
カルメンという名の女』(1983年)
右側に気をつけろ』(1987年)
新ドイツ零年』(1991年)
愛の世紀』(2001年)
アワーミュージック』(2004年)
さらば、愛の言葉よ』(2014年)
イメージの本』(2018年)
 
受賞
アカデミー賞
名誉賞
2010年 情熱と対決姿勢、そして映画製作における革新性に対して
カンヌ国際映画祭
スペシャル・パルム・ドール
2018年イメージの本
審査員賞
2014年さらば、愛の言葉よ
ヴェネツィア国際映画祭
金獅子賞
1983年カルメンという名の女
審査員特別賞
1962年女と男のいる舗道
1967年中国女
上院議会金メダル
1991年新ドイツ零年
パシネッティ賞
1962年『女と男のいる舗道』
栄誉金獅子賞
1982年
ベルリン国際映画祭
金熊賞
1965年アルファヴィル
銀熊賞(監督賞)
1960年勝手にしやがれ
銀熊賞(審査員特別賞)
1961年女は女である
ヨーロッパ映画賞
生涯貢献賞
2007年
全米映画批評家協会賞
実験映画賞
2023年ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争
特別賞
1991年
ニューヨーク映画批評家協会賞
特別賞
1994年
ロサンゼルス映画批評家協会賞
インディペンデント/実験的作品賞
2010年ゴダール・ソシアリスム
セザール賞
名誉賞
1987年、1998年
その他の賞
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ジャン=リュック・ゴダール (Jean-Luc Godard, 1930年12月3日 - 2022年9月13日[1]) は、フランス映画監督編集技師映画プロデューサー映画批評家撮影監督としても活動し、俳優として出演したこともある。

はじめ映画批評家として出発したが、『勝手にしやがれ』(1960年)ほかの作品でトリュフォーシャブロルと並ぶヌーヴェルヴァーグの旗手とみなされるようになり、独創的なカメラワークや大胆な編集技法によって映像表現の世界に革命をもたらした[2]。注目度の高さから、20世紀の最も重要な映画作家の一人とも称される[3]

生涯[編集]

1930年代 - 1950年代
ゴダールのサイン

1930年12月3日、フランス・パリ7区コニャック=ジェ通り (Rue Cognacq-Jay) 2番地に生まれる[4]。父方[注 1]平和主義を信念に第一次世界大戦さなかの1916年にスイスジュネーヴ近郊に移住した。母方はジュネーヴ在住のフランス系プロテスタントの著名一族で、母方祖父はBNPパリバ創業者の一人である。少年期のジャンは1940年のパリ陥落時まではパリにいたが、同年にブルターニュの伯母方に移ってからフランスを横切りスイスに移動した。

スイスヴォー州ニヨンコレージュを出た後、バカロレアのためにパリに戻りパリ15区リセ・ビュッフォン (fr) に入学した。しかし、勉学に身が入らずバカロレアに落第した。1948年にスイスのエコール・レマニア (fr) に移ったが2度目も落第、1949年に3度目でバカロレアに通りその年の秋からパリ大学に通った。その間、父の病気が原因で両親は離婚した。またこの年、モーリス・シェレール(エリック・ロメール)の主催する「シネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン」に参加、ジャック・リヴェットフランソワ・トリュフォージャン・ドマルキらと出会う。1949年ジャン・コクトーアンドレ・バザン主催「呪われた映画祭」に参加。

1950年5月、モーリス・シェレール編集『ラ・ガゼット・デュ・シネマ』創刊(同年11月廃刊)、執筆参加(ハンス・リュカス名義)。またこの年、ジャック・リヴェットの習作短編第2作『ル・カドリーユ』に主演する。

1951年4月、アンドレ・バザン編集『カイエ・デュ・シネマ』創刊、のちに執筆に参加。また同年エリック・ロメールの習作短編第2作『紹介、またはシャルロットとステーキ』に主演する。

1954年、習作短編第1作『コンクリート作業』を脚本・監督。1958年までにトリュフォーとの共同監督作品『水の話』を含めた数本の短編を撮る。

1960年代
満願寺溝口健二の墓参り(1966年5月4日)

1960年3月、初の長編映画『勝手にしやがれ』が公開[5]ジョルジュ・ド・ボールガール製作。ジャン・ヴィゴ賞ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した。同年3月末から5月末にかけて[注 2]スイスのジュネーヴで長編第2作『小さな兵隊』を撮影(公開は1963年)[7]

1961年3月3日、『小さな兵隊』に主演女優として出演したアンナ・カリーナと結婚。同年7月、『女は女である』でベルリン国際映画祭銀熊賞受賞。

1964年、アンナ・カリーナと独立プロダクション「アヌーシュカ・フィルム」( - 1972年)設立。設立第1作は『はなればなれに』。同年12月、カリーナと離婚[8][9]

1965年7月、『アルファヴィル』でベルリン国際映画祭金熊賞受賞。同年11月、『気狂いピエロ』一般公開。

1966年4月28日、初来日する。ミシェル・ボワロン監督の『OSS117/東京の切札』の撮影のため滞日中のマリナ・ヴラディと会い、次回作の出演を依頼すること、『カイエ・デュ・シネマ』の依頼で羽仁進今村昌平にインタビューすることが主な目的だった[10]。ゴダールは、日本では公開されていなかった『アルファヴィル』『気狂いピエロ』『男性・女性』の3作のフィルムを持参しており[11]、そのうち『男性・女性』が5月7日に東京国立近代美術館で特別に上映された。上映後、ゴダールは質疑に応じた[10][12]。日本を発つまでの11日間のゴダールの動きは以下のとおり[10]

4月28日 18時40分羽田空港着。帝国ホテルに宿泊。
4月29日 ドライブ。晴海ふ頭の立ち入り禁止区域に乗り入れる。
4月30日 羽仁進の『アンデスの花嫁』を鑑賞。
マリナ・ヴラディと会見。
5月1日 を鑑賞。
5月2日 アーサー・ペンの『逃亡地帯』を鑑賞。
蔵原惟繕と会い、公開を阻まれている『愛の渇き』の話を聞く。
『カイエ・デュ・シネマ』の依頼で羽仁進をインタビュー。
5月3日 公開前の『愛の渇き』を鑑賞。
浜美枝と会食。17時、新幹線で京都へ出発。
5月4日 依田義賢の案内で満願寺溝口健二の墓参り。
東山の料亭で撮影中の『OSS117/東京の切札』のロケ現場を見学。
5月5日 保津川下りを体験。
5月6日 日本テレビの『南ベトナム海兵大隊戦記・第一部』(1965年)を見たいと同局に交渉するも不成立。
今村昌平のインタビューは互いに時間が取れず中止。夜、成城の浜美枝の自宅でパーティー。
5月7日 今村の『にっぽん昆虫記』を日活の試写室で鑑賞。
東京国立近代美術館で『男性・女性』の特別上映会。上映後、質疑に応じる。
5月8日 今村の『「エロ事師たち」より 人類学入門』を鑑賞。
22時30分発の日航機で羽田を発つ。

1967年7月22日、『中国女』に主演したアンヌ・ヴィアゼムスキーと結婚( - 1979年離婚)。同年8月、商業映画との決別宣言文を発表。

1968年5月、五月革命のさなかの第21回カンヌ国際映画祭に、映画監督フランソワ・トリュフォー[注 3]クロード・ルルーシュルイ・マルらとともに乗りこみ各賞選出を中止に追い込む。同年、ジャン=ピエール・ゴランらと「ジガ・ヴェルトフ集団」を結成。匿名性のもとに映画の集団製作を行う。

1970年代

1971年、オートバイ事故に遭う。

1972年イヴ・モンタンジェーン・フォンダを主役に、ジャン=ピエール・ラッサム製作、仏伊合作『万事快調』をジガ・ヴェルトフ集団として撮る。本作にスチルカメラマンとして参加したアンヌ=マリー・ミエヴィルと出逢い、製作会社「ソニマージュ」を設立( - 1982年)、『ジェーンへの手紙』を同社で製作、完成をもってジガ・ヴェルトフ集団を解散。

1973年、ミエヴィルとともに拠点をパリからグルノーブルに移す。1974年、ミエヴィルとの脚本共同執筆第1作『パート2』を監督。以降、ミエヴィルとの共同作業でビデオ映画を数本手がける。

1979年、ミエヴィルとともに拠点をグルノーブルからスイス・ヴォー州ロールに移し、アラン・サルド製作による『勝手に逃げろ/人生』で商業映画への復帰を果たす。製作会社「JLGフィルム」を設立( - 1998年)。

1980年代 - 1990年代

1982年、『パッション』を脚本・監督。「ソニマージュ」社は「JLGフィルム」社らと本作を共同製作したのちに活動停止。

1983年、『カルメンという名の女』により第40回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得。

1987年、『右側に気をつけろ』によりルイ・デリュック賞を受賞。

1989年、『ゴダールの映画史』の第1章と第2章とを発表。

1990年、「JLGフィルム」社が『映画史』以外の活動を停止するにともない、ミエヴィルとの新会社「ペリフェリア」を設立。

2000年代 - 2020年代

2002年日本高松宮殿下記念世界文化賞受賞。

2006年、パリのポンピドゥー・センターで初の個展が開かれる。同会場での上映のための映画『真の偽造パスポート』(Vrai-faux passeport)を製作・脚本・監督。

2010年第83回 アカデミー名誉賞を受賞[13][14]

2018年第71回カンヌ国際映画祭で、「スペシャル・パルム・ドール」を受賞(カンヌ国際映画祭粉砕事件50周年を記念した特別賞であり、コンペ最高賞のパルム・ドールや、名誉賞のパルム・ドール・ドヌールとは異なる)[15]

2022年9月13日、死去。91歳没。ゴダールは日常生活に支障を来す疾患を複数患っており、居住しているスイスで「判断能力があり利己的な動機を持たない人」に対して合法化されている「自殺幇助」(安楽死)を選択。医師から処方された薬物を使用し亡くなったと伝えられている[16][17][18]

映画制作史[編集]

1954年 - 1967年 『コンクリート作業』 - 『ウイークエンド』
気狂いピエロ』(1965年)のポスター。『キネマ旬報』1967年2月下旬号に掲載された広告。

シネフィルとして数多くの映画に接していた若き日のゴダールは、シネマテーク・フランセーズに集っていた面々(フランソワ・トリュフォークロード・シャブロルエリック・ロメールジャン=マリ・ストローブ等)と親交を深めると共に、彼らの兄貴分的な存在だったアンドレ・バザンの知己を得て彼が主宰する映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』に批評文を投稿するようになっていた。すなわちゴダールは、他のヌーヴェルヴァーグの面々、いわゆる「カイエ派」がそうであったように批評家として映画と関わることから始めた。

数編の短編映画を手掛けた後、先に映画を制作して商業的な成功も収めたクロード・シャブロル(『美しきセルジュ』『いとこ同志』)やフランソワ・トリュフォー(『大人は判ってくれない』)のように、受け取る遺産も、大手配給会社社長の家族もいないゴダールは、プロデューサーのジョルジュ・ド・ボールガールと出会うことで、長編処女作『勝手にしやがれ』(1960)[5]でやっとデビューできた。ジャン=ポール・ベルモンドが演ずる無軌道な若者の刹那的な生き方を描くこの作品は、撮影技法では即興演出同時録音自然光を生かすためのロケーション中心の撮影など、ヌーヴェルヴァーグ作品の特徴にくわえて、ジャンプカットを多用する斬新な編集手法でも注目された[19][注 4]

『勝手にしやがれ』でジーン・セバーグが演じた役柄には、ゴダールは当初は片思い状態で思慕していたアンナ・カリーナを想定していたが、本人の拒絶により実現しなかった。しかし『勝手にしやがれ』の成功を背景としてカリーナとの関係は親密なものとなり、1961年に結婚。以降アンナ・カリーナは前期におけるゴダール作品の多くの主演女優を務めることになる。

1965年には話題作『気狂いピエロ』を発表した[20][21]1967年の『ウイークエンド』を1つの頂点として商業映画との決別を宣言する中期に至るまで、1年に平均2作程度というペースで作品を制作し続け、ゴダールは名実ともにヌーヴェルヴァーグの旗手としての立場を固めていった。

この時期のゴダール作品の題材は、アルジェリア戦争(『小さな兵隊』)・団地売春の実態(『彼女について私が知っている二、三の事柄』、1966年)・SF仕立てのハードボイルド(『アルファヴィル』、1965年)と広範囲に及んでいる。

1967年 - 1979年 『たのしい知識』 - 『うまくいってる?』

1967年8月に、ゴダールはアメリカ映画が世界を席巻し君臨することを強く批判し、自らの商業映画との決別宣言文を発表した。

「われわれもまた、ささやかな陣営において、ハリウッドチネチタモスフィルムパインウッド等の巨大な帝国の真ん中に、第二・第三のヴェトナムを作り出さねばならない。 そして、経済的にも美学的にも、すなわち二つの戦線に拠って戦いつつ、国民的な、自由な、兄弟であり、同志であり、友であるような映画を創造しなくてはならない。」 — ゴダール、『ゴダール全集』4巻(1968年刊)

パリ五月革命を先取りしたとも言われる『中国女』(1967年)において既に政治的な傾向が顕著になっていたが、それが明確になったのは1968年第21回カンヌ国際映画祭における「カンヌ国際映画祭粉砕事件」だった。

映画祭開催9日目の5月19日、会場にジャン=リュック・ゴダールが現れ、コンペティション部門に出品されていたカルロス・サウラの作品上映を中止させようとした[22]ヌーベル・バーグ運動の中心的人物だったゴダールとフランソワ・トリュフォーはフランスで行われていた学生と労働者のストライキ運動に連帯し、警察の弾圧、政府、映画業界のあり方への抗議表明としてカンヌ映画祭中止を呼びかけ[22]クロード・ルルーシュクロード・ベリジャン=ピエール・レオジャン=ガブリエル・アルビコッコらと会場に乗り込んだ。

審査員のモニカ・ヴィッティテレンス・ヤングロマン・ポランスキールイ・マルもこれを支持して審査を放棄し、上映と審査の中止を求めた[22]。コンペティションに出品していたチェコスロヴァキアの監督ミロシュ・フォルマンも出品の取りやめを表明した。その結果、この年のカンヌ映画祭は中止になった。

しかし、この事件をきっかけとして映画作家の政治的主張の違いも鮮明になり、作家同士が蜜月関係にあったヌーヴェルヴァーグ時代も事実上の終わりを告げるに至った。プライベートでも、女優アンナ・カリーナと1965年に破局が決定的になり、『中国女』への出演を機に1967年にアンヌ・ヴィアゼムスキーがゴダールの新たなるパートナーとなった。この後『ウイークエンド』(1967年)を最後に商業映画との決別を宣言し『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で商業映画に復帰するまで、政治的メッセージを発信する媒体として作品制作を行うようになる。

また商業映画への決別と同じタイミングで、作品に「ジャン=リュック・ゴダール」の名前を冠することをやめ、「ジガ・ヴェルトフ集団」を名乗って活動を行う(1968年 - 1972年)。ソビエトの映画作家ジガ・ヴェルトフの名を戴いたこのグループは、ゴダールと、マオイストの政治活動家であったジャン=ピエール・ゴランを中心とした映画製作集団で、この時期のパートナーであるアンヌ・ヴィアゼムスキーもメンバーとして活動に加わった。1972年、『ジェーンへの手紙』完成をもって同グループは解散、ゴダールはアンヌ=マリー・ミエヴィルとのパートナーシップ体制に入る。この時期のゴダールは映画を政治的なメッセージ発信の手段として明確に位置づけ、その手段として、膨大な映像の断片と文字、引用(スローガン台詞ナレーション)とを大量に列挙してみせた。

ローリング・ストーンズが出演し、アルバム『ベガーズ・バンケット』のレコーディング風景が収録されたことで多くの話題を呼んだ『ワン・プラス・ワン』(1968年)においては、様々な場面や場所で多様な人が政治的なメッセージを読み上げるシーンと、試行錯誤しているストーンズのリハーサルシーンとを交互に重ね合わせることにより、当時の政治的な状況を映画作品として再現する実験を試みている[注 5]

1980年 - 1987年 『勝手に逃げろ/人生』 - 『ゴダールのリア王』

ゴダール曰く「第二の処女作」である『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で商業映画への復帰を果たし、1980年代のゴダールは『パッション』『ゴダールのマリア』『カルメンという名の女』などの話題作を次々に発表した。この時期にはトリュフォーをして「彼こそが本物の天才だ」と言わしめた初期の大胆な撮影・編集手法は、しだいに影をひそめるようになった。

1988年 - 2000年 『ゴダールの映画史』(『言葉の力』 - 『オールド・プレイス』)

1990年代のゴダールは『映画史』の製作に没頭することになった。これは19世紀末から始まる世界の映画史全体をふりかえる構想で、ビデオ作品として製作・発表された。その構成要素は、1950年代までのハリウッド、ヌーヴェルヴァーグを中心としたフランス、イタリアのネオ・レアリスモドイツ表現主義およびロシア・アヴァンギャルド等、その他ヨーロッパ諸国の作品が圧倒的多数を占め、非欧米圏からは日本から4人の作家(溝口健二小津安二郎大島渚勅使河原宏)とインドのサタジット・レイ、イランのアッバス・キアロスタミ、ブラジルのグラウベル・ローシャ、台湾の侯孝賢が参照されている。

この時期に作られた『新ドイツ零年』(1991年)や『JLG/自画像』(1995年)でも、映画史上のさまざまな作品を引用する手法は踏襲されている。ほかに『ヌーヴェルヴァーグ』(1990年)、『フォーエヴァー・モーツアルト』(1996年)がある。

2001年 - 2018年

『映画史』が完成するころからさまざまな短篇群、オムニバス作品に積極的に参加するようになり、ゴダールが監督として、あるいは俳優として参加した映画作品は、140を超える[23]。2014年、3D映画『さらば、愛の言葉よ』で第67回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞している[24]。2018年に公開された『イメージの本』は、『映画史』を彷彿とさせる無数の映画作品のコラージュで構成されている。

フィルモグラフィ[編集]

女と男のいる舗道』(1962年)
軽蔑』(1963年)
気狂いピエロ』(1965年)

監督作品のうち主な長編映画のみ記載。

受賞歴[編集]

部門 作品 結果
ジャン・ヴィゴ賞 1960年 - 勝手にしやがれ 受賞
ベルリン国際映画祭 1960年 監督賞 『勝手にしやがれ』 受賞
1961年 審査員特別賞 女は女である 受賞
1965年 金熊賞 アルファヴィル 受賞
1966年 インターフィルム賞 男性・女性 受賞
1973年 インターフィルム賞 万事快調 受賞
1985年 インターフィルム賞 こんにちは、マリア 受賞
フランス映画批評家協会賞 1960年 作品賞 『勝手にしやがれ』 受賞
ナストロ・ダルジェント賞 1961年 外国監督賞 『勝手にしやがれ』 ノミネート
ヴェネツィア国際映画祭 1962年 審査員特別賞 女と男のいる舗道 受賞
パシネッティ賞 受賞
1967年 審査員特別賞 中国女 受賞
1982年 栄誉金獅子賞 - 受賞
1983年 金獅子賞 カルメンという名の女 受賞
1991年 上院議会金メダル 新ドイツ零年 受賞
英国映画協会 1965年 サザーランド杯 気狂いピエロ 受賞
全米映画批評家協会賞 1980年 作品賞 勝手に逃げろ/人生 2位
監督賞 3位
1990年 特別賞 - 受賞
2014年 作品賞 さらば、愛の言葉よ 受賞
監督賞 2位
セザール賞 1981年 作品賞 『勝手に逃げろ/人生』 ノミネート
監督賞 ノミネート
1983年 作品賞 パッション ノミネート
監督賞 ノミネート
1987年 名誉賞 - 受賞
1998年 名誉賞 - 受賞
ロッテルダム国際映画祭 1986年 最優秀革新的映画賞 ゴダールの探偵 受賞
ルイ・デリュック賞 1987年 - 右側に気をつけろ 受賞
ニューヨーク映画批評家協会賞 1994年 特別賞 - 受賞
ロカルノ国際映画祭 1995年 名誉豹賞 - 受賞
モントリオール世界映画祭 1995年 アメリカ特別グランプリ - 受賞
テオドール・アドルノ賞 1995年 - - 受賞
バリャドリッド国際映画祭 2001年 審査員特別賞 愛の世紀 受賞
ストックホルム国際映画祭 2001年 生涯功労賞 - 受賞
ファジュル国際映画祭 2002年 水晶のシームルグ賞 『愛の世紀』 受賞
高松宮殿下記念世界文化賞 2002年 演劇・映像部門 - 受賞
ヨーロッパ映画賞 2004年 脚本賞 アワーミュージック ノミネート
2007年 生涯貢献賞 - 受賞
サン・セバスティアン国際映画祭 2004年 国際映画批評家連盟賞 『アワーミュージック』 受賞
国際映画批評家連盟賞 2004年 グランプリ 『アワーミュージック』 受賞
アカデミー賞 2010年 名誉賞 - 受賞
ロサンゼルス映画批評家協会賞 2010年 インディペンデント/実験的作品賞 ゴダール・ソシアリスム 受賞
カンヌ国際映画祭 2014年 カンヌ国際映画祭審査員賞 『さらば、愛の言葉よ』 受賞
2018年 スペシャル・パルムドール 『イメージの本』 受賞
国際フィルム・アーカイヴ連盟 2019年 FIAF賞 - 受賞

著作[編集]

  • 『ゴダール 映画史(全)』奥村昭夫訳、ちくま学芸文庫、2012
    • 元版『ゴダール/映画史』奥村昭夫訳、筑摩書房(全2巻)、1982
  • シリル・ベジャン編『ディアローグ デュラス : ゴダール全対話』福島勲訳、読書人、2018
  • アラン・ベルガラ編『ゴダール全評論・全発言〈1〉1950-1967』奥村昭夫訳、筑摩書房、1998
  • アラン・ベルガラ編『ゴダール全評論・全発言〈2〉1967-1985』奥村昭夫訳、筑摩書房、1998
  • アラン・ベルガラ編『ゴダール全評論・全発言〈3〉1984-1998』奥村昭夫訳、筑摩書房、2004
  • Godard, Jean-Luc: The Future(s) of Film, Berlin: Verlag Gachnang & Springer, 2002.
  • 『ゴダール全集4 ゴダール全エッセイ集』蓮實重彦・柴田駿監訳、竹内書店、1970。この巻のみ
  • ジャン=リュック・ゴダール・マルセル・オフュルス共著『映画をめぐるディアローグ ゴダール/オフュルス全対話』福島勲訳、読書人、2022

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 父親の父方はシェール県、母方は北フランスノール県カトー=カンブレジの出。
  2. ^ コリン・マッケイブの『ゴダール伝』には「4月4日から5月初めまで」と記されている[6]
  3. ^ 「暗くなるまでこの恋を」など多くの作品を監督した
  4. ^ アナーキストを題材に取ったフランス以外の映画としては、マーロン・ブランド主演の『蛇皮の服を着た男』(1960年、アメリカ)がある。
  5. ^ なお、この映画は本来ならレコーディングは完了せずに終る予定であり、未完であることにこそ本質的な意味があるとゴダールは考えていたのであるが、制作者側の商業的な意図により作品の最後で完成した「悪魔を憐れむ歌」が挿入されてしまった。この作品はゴダールが活動資金稼ぎを目的として制作されたもので、中期に位置するものの商業映画(イギリス資本)としてゴダールの署名で制作されている。

出典[編集]

  1. ^ 映画監督ゴダール氏死去、ヌーベルバーグ「勝手にしやがれ」 仏報道”. Yahoo!ニュース (2022年9月13日). 2022年9月13日閲覧。
  2. ^ Brody, R. , Everything Is Cinema: The Working Life of Jean-Luc Godard (2008); Boslaugh, Sarah, and Boslaugh. "Godard, Jean–Luc (1930–)." Encyclopedia of the Sixties: A Decade of Culture and Counterculture, edited by James S. Baugess, and Abbe Allen DeBolt, Greenwood, 1st edition, 2011.
  3. ^ Morrey, Douglas. Jean-Luc Godard. Manchester University Press Manchester, 2005.
  4. ^ ジャン・リュック・ゴダール 2023年2月4日閲覧
  5. ^ a b 勝手にしやがれ - IMDb(英語)
  6. ^ マッケイブ 2007.
  7. ^ ベルガラ 2012, pp. 678–679.
  8. ^ Thomson, David (2019年12月16日). “Journey to the end of the beach: Godard, Karina and Pierrot le fou” (英語). Sight & Sound. 2023年8月19日閲覧。
  9. ^ Hudson, David (2019年12月17日). “Unforgettable Anna Karina” (英語). The Criterion Collection. 2023年1月12日閲覧。
  10. ^ a b c 柴田駿白井佳夫「ゴダール監督の日本の10日間」 『キネマ旬報』1966年6月上旬号、50-54頁。
  11. ^ 『映画評論』1966年7月号、7頁、「日本にやってきたゴダール」。
  12. ^ 『映画評論』1966年7月号、68-72頁、「ゴダールへの質問状」。
  13. ^ ジャン=リュック・ゴダール監督、アカデミー賞名誉賞授賞式の欠席を正式表明!”. シネマトゥデイ (2010年10月26日). 2017年10月1日閲覧。
  14. ^ ゴダールの授賞式欠席が決定 米アカデミーの説得むなしく”. 映画.com (2010年10月27日). 2017年10月1日閲覧。
  15. ^ ““スペシャル・パルムドール”受賞のゴダールがビデオ通話で会見!カンヌ受賞結果一覧”. Movie Walker. (2018年5月20日). https://moviewalker.jp/news/article/147438/ 2018年11月2日閲覧。 
  16. ^ 映画監督のゴダール氏死去 「勝手にしやがれ」など手がける 仏報道”. 朝日新聞デジタル. 2022年9月13日閲覧。
  17. ^ Disparition Mort de Jean-Luc Godard, histoire du cinéma”. リベラシオン. 2022年9月13日閲覧。
  18. ^ ゴダール監督、自殺ほう助での死選ぶ - AFPBB News 2022年9月13日
  19. ^ The film employed various techniques such as the innovative use of jump cuts ,//Brody, p. 69.
  20. ^ Pierrot le fou (1965) – JPBox-Office”. jpbox-office.com. 2023年1月30日閲覧。
  21. ^ Margaret Herrick Library, Academy of Motion Picture Arts and Sciences
  22. ^ a b c 史上初めて会期途中で映画祭が中止、カンヌを震撼させた「1968年」AFP, 2008年5月13日
  23. ^ Jean-Luc Godard: Documents, éditeur : Centre Georges Pompidou, Paris, 2006.
  24. ^ Shoard, Catherine (2014年5月24日). “Cannes 2014: Winter Sleep takes Palme d'Or in ceremony of upsets”. The Guardian. 2014年10月20日閲覧。

参考文献[編集]

洋書
  • Bergala, Alain. Jean-Luc Godard au travail: Les années 60, Cahiers du Cinema, 1998.
    • アラン・ベルガラ 著、奥村昭夫 訳『六〇年代ゴダール―神話と現場』筑摩書房〈リュミエール叢書〉、2012年9月25日。ISBN 978-4480873194 
  • Brenez, Nicole (ed.) Jean-Luc Godard: Documents, Centre Georges Pompidou, 2006.
  • Brody, Richard. Everything Is Cinema: The Working Life of Jean-Luc Godard, New York : Metropolitan Books/Henry Holt & Co., 2008.
  • Chiesi, Roberto, Jean-Luc Godard, Roma : Gremese.
  • Dixon, Wheeler Winston. The Films of Jean-Luc Godard. Albany: State University of New York Press, 1997.
  • Loshitzky, Yosefa. The Radical Faces of Godard and Bertolucci, Wayne State UP, 1995.
  • MacCabe, Colin. Godard: A Portrait of the Artist at 70. London: Bloomsbury, 2003.
  • MacCabe, Colin. Godard: Images, Sounds, Politics. London: Macmillan, 1980.
  • Morrey, Douglas. Jean-Luc Godard. Manchester: Manchester University Press, 2005.
  • Silverman, Kaja and Harun, Farocki. Speaking About Godard. New York: New York University Press, 1998.
  • Sterrit, David. The Films of Jean-Luc Godard: Seeing the Invisible. Cambridge: Cambridge University Press, 1999.
  • Temple, Michael et al. (eds.) For Ever Godard. London: Black Dog Publishing, 2007.
  • Temple, Michael and James S. Williams (eds.) The Cinema alone: Essays on the Work of Jean-Luc Godard 1985-2000. Amsterdam: Amsterdam University Press. 2000.
  • Temple, Michael et al. (eds.) Jean-Luc Godard: Documents, Paris: Centre Georges Pompidou, 2007.
  • Wiazemsky, Anne. Une année studieuse. Paris: Gallimard, 2012.
  • Wiazemsky, Anne. Un an après. Paris: Gallimard, 2015 - ミシェル・アザナヴィシウス監督『グッバイ・ゴダール!』原作。
和書
  • 『ジャン=リュック・ゴダール』(改訂第二版)エスクァイアマガジンジャパン〈E/Mブックス〉、2003年8月1日。ISBN 978-4872950199  ※初版は初版は1998年4月10日発行
  • 『ヌーヴェルヴァーグの時代』エスクァイアマガジンジャパン〈E/Mブックス〉、1999年3月25日。ISBN 978-4872950618 
  • 浅田彰・松浦寿輝『ゴダールの肖像』大野裕之編、とっても便利出版部、増訂版2000
  • カイエ・デュ・シネマ・ジャポン編集委員会編『ゴダールとストローブ=ユイレによる映画』勁草書房、1997
  • 郡淳一郎編『ゴダール : 映画史 : テクスト = Jean-Luc Godard : histoire(s) du cinéma : texte』愛育社、2000
  • 小松祐夫『ゴダールの黙示録 : Jean-Luc Godard : Helas pour moi!』新風舎、2006
  • 小松祐夫『ゴダールの文法』新風舎、2000
  • 佐々木敦『ゴダール原論 : 映画・世界・ソニマージュ』新潮社、2016
  • 佐々木敦『ゴダール・レッスン : あるいは最後から2番目の映画』フィルムアート社、新装版1998
  • 杉原賢彦『ゴダールに気をつけろ!』フィルムアート社、1998
  • 蓮實重彦編『光をめぐって : 映画インタヴュー集』筑摩書房、1991
  • 蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー : 思考と感性とをめぐる断片的な考察』NTT出版、2008/増補版・青土社、2019
  • 蓮實重彦『ゴダール革命』筑摩書房「リュミエール叢書」、2005
  • 平倉圭『ゴダール的方法』インスクリプト、2010
  • 松浦寿輝『ゴダール』筑摩書房「リュミエール叢書」、1997
  • 山田宏一『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』ワイズ出版、2010/増補版 同・映画文庫 2020
  • 山田宏一『映画はこうしてつくられる―山田宏一映画インタビュー集』草思社、2019年9月4日。ISBN 978-4794224019 
  • 四方田犬彦『ゴダールと女たち』講談社現代新書、2011
  • 四方田犬彦・堀潤之編『ゴダール・映像・歴史 : 『映画史』を読む』産業図書、2001
雑誌特集など
  • 現代思想 ゴダールの神話』青土社、1995年11月臨時増刊
  • ユリイカ 詩と批評 特集 60年代ゴダール』1998年10月号、青土社
  • 『ユリイカ 詩と批評 特集 ゴダールの世紀』2002年5月号、青土社
  • 『ユリイカ 詩と批評 特集 ゴダール2015』2015年1月号、青土社 
  • 『KAWADE夢ムック ゴダール 〈文藝別冊〉』河出書房新社、2002
  • 『ユリイカ 詩と批評 総特集 ジャン=リュック・ゴダール 1930-2022』青土社、2023年1月臨時増刊

関連人物[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]