ジャック・マルーフ

ジャック・マルーフ
Jack Maloof
2012年10月
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州サンバーナディーノ郡レッドランズ
生年月日 (1949-10-12) 1949年10月12日(74歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1971年 MLBドラフト27巡目(全体629位)でミネソタ・ツインズから指名
初出場 NPB / 1979年4月7日
最終出場 NPB / 1979年10月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジャック・ガース・マルーフJack Garth Maloof, 1949年10月12日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンバーナディーノ郡レッドランズ出身の元プロ野球選手外野手)・コーチ

経歴[編集]

ラバーン大学では、アメリカンフットボールワイドレシーバーと野球の外野手として活躍し、大学卒業後の1971年ミネソタ・ツインズへ入団。同球団を振り出しに、シンシナティ・レッズサンディエゴ・パドレス傘下のマイナーリーグでプレーをした後、1979年西武ライオンズへ入団。西武初の外国人選手としてトニー・ミューサーと共に来日し、クラウチング・スタイルの打撃フォームはピート・ローズそっくりと評判であった。4月7日の開幕カード・近鉄戦(日生)で、1番・中堅手として先発で初出場。新生・西武ライオンズの船出となるこの試合の1回表にいきなり鈴木啓示から右前安打を放ち、安打は当然マルーフ自身の来日後初安打であったが、同時に西武球団史上最初の安打でもあった。同16日の日本ハム戦(西武)で5回裏に杉山知隆から適時打を放ち、初打点を記録。5月9日の南海戦(大阪)で3回表に森口益光から初ソロ本塁打を放ち、この試合は初本塁打を含む4打数4安打と打ちまくった。同16日の日本ハム戦(西武)では3安打3打点3盗塁と大暴れし、その後も主にトップバッターとしてシーズン終了までチームを牽引し続けた。俊足のアベレージヒッターという前評判通り、開幕から8試合連続で安打を放つなど146安打、打率.290の成績を残し、盗塁も18個を記録。打率.290は同年の西武の規定打席到達選手の中で最も高かったが、同年をもって現役を引退。

帰国後はリノ・シルバーソックス→リノ・パドレス1980年 - 1982年)、ビューモント・ゴールデンゲイターズ1983年)、スポケーン・インディアンス1984年 - 1985年)と古巣・パドレス傘下のマイナーリーグで監督を歴任。スポケーン監督退任後はパドレス傘下マイナーリーグ打撃インストラクター(1986年 - 1989年)、パドレスコーチ(1990年)を務めた。退団後はフロリダ・マーリンズでマイナーリーグ打撃コーディネーター(1992年 - 1998年)、打撃コーチ(1999年 - 2001年)を務め、マーリンズ退団後はマートルビーチ・ペリカンズ打撃コーチ(2002年 - 2004年)→ブレーブス傘下マイナーリーグ打撃コーディネーター(2005年 - 2007年)、ロイヤルズ傘下マイナーリーグ打撃コーディネーター兼プレーヤー開発特別アシスタント(2008年 - 2012年)→打撃コーチ(2013年)を務めた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1979 西武 129 566 503 65 146 26 0 12 208 48 18 11 7 3 52 1 1 48 4 .290 .358 .414 .771
NPB:1年 129 566 503 65 146 26 0 12 208 48 18 11 7 3 52 1 1 48 4 .290 .358 .414 .771
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 4 (1979年)
  • 16(1999年 - 2001年)
  • 26 (2013年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]