ジム・マクマナス

ジム・マクマナス
Jim McManus
1961年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 マサチューセッツ州ブルックライン
生年月日 (1936-07-20) 1936年7月20日(87歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1954年
初出場 MLB / 1960年9月21日
NPB / 1962年
最終出場 MLB / 1960年10月2日
NPB / 1963年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジェームズ・マイケル・マクマナス(Jamus Michael McManus、1936年7月20日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ブルックライン出身の元プロ野球選手一塁手)。

日本プロ野球での登録名は「マック」。

来歴・人物[編集]

1954年にアマチュアフリーエージェントでデトロイト・タイガースに入団。

1960年カンザスシティ・アスレチックス傘下AA級シェルブポート英語版で32本塁打を放ち、本塁打王のタイトルを獲得[1]。9月にアスレチックスでメジャー昇格し、5試合に出場して1本塁打の記録を残す。1961年はアスレチックスからAAA級ハワイ・アイランダース英語版に貸し出される形で移籍し[2]、21本塁打、81打点を挙げた。

この年の10月にハワイへ遠征のために訪れていた大洋ホエールズの監督・三原脩の目に留まり、大洋に入団する[2]。年俸は25,000ドル(推定)で、更に球団はマクマナスのために特注の家と自動車を用意し、遠征の際にはチームメイトと別の洋式ホテルに宿泊できる待遇を準備した[3]。身長190㎝を優に超えるこれほど巨大なアメリカ人がNPBでプレーするのは初めてとあって、マクマナスが来日した際には、スポーツ新聞に写真入りで紹介され、テレビのスポーツニュースでも真っ先に採り上げられる。また、日本側の期待も大きく50本塁打を予想する新聞もあった[4]。なお、本人は30本塁打・100打点を公約に掲げていた[5]。シーズンに入ると、桑田武森徹クリーンナップを打つが、練習不足のためか開幕から調子が上がらず[6]、シーズンを通じて12本塁打・52打点という平凡な成績に終わる。翌1963年はおもに代打として出場するが、打率.180と前年よりもさらに成績を落とし、この年限りで退団した。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1960 KCA 5 14 13 3 4 0 0 1 7 2 0 0 0 0 1 0 0 2 1 .308 .357 .538 .896
1962 大洋 115 418 376 41 98 12 1 12 148 52 4 3 1 5 32 3 4 70 6 .261 .321 .394 .715
1963 75 180 167 15 30 2 0 8 56 21 0 3 0 2 11 1 0 27 2 .180 .228 .335 .563
MLB:1年 5 14 13 3 4 0 0 1 7 2 0 0 0 0 1 0 0 2 1 .308 .357 .538 .896
NPB:2年 190 598 543 56 128 14 1 20 204 73 4 6 1 7 43 4 4 97 8 .236 .293 .376 .669

背番号[編集]

  • 48 (1960年)
  • 25 (1962年 - 1963年)

脚注[編集]

  1. ^ 週刊ベースボール』1962年3月19日号、ベースボール・マガジン社、92頁
  2. ^ a b 『週刊ベースボール』1962年3月19日号、91頁
  3. ^ 『菊とバット』236頁
  4. ^ 『菊とバット』235頁
  5. ^ ベースボールマガジン』 2000年秋号、ベースボール・マガジン社、120頁
  6. ^ 『決定版日本プロ野球外国人選手大鑑』131頁

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]