コペル

コペル特別市
市章
Umestitev občineStarše v Sloveniji
面積: 303.2km²
市長: Aleš Bržan
人口
 - 男性
 - 女性
52,630*人
26,027*人
26,603*人
平均年齢: 38.28歳
住宅区域:
 - 世帯数:
 - 家族数:
32.34m²/人
17,391
13,879
労働者:
 - 失業者:
23,397人
2,907人
平均月収 (2003年8月):
 - 総計:
 - 正味:
 
257,219SIT
160,373SIT
大学生徒数: 1,800人
スロベニア共和国統計局、2002年度の国勢調査より(*印の項目を除く)

コペルスロベニア語: Koper)は、スロベニアの自治体・都市である。イタリア語カポディストリア (Capodistria)。クロアチア語名コパル (Kopar)、ドイツ語名Gafers。行政上はコペル特別市スロベニア語: Mestna občina Koperイタリア語: Comune città di Capodistria)と呼ばれ、同名の地区を含む54の地区から成る。

概要[編集]

イタリアクロアチアとの国境に面し、イタリアの都市トリエステとクロアチアの都市ブイェに接している。スロベニア語と共に、イタリア語が市の公用語となっている。

市街にはコペル港が面しており、貿易の拠点である。[1]イタリア領とクロアチア領の間を縫って、海まで伸びる回廊状のスロベニア領の尖端に位置する、スロベニア唯一の商業港である[1](商業港以外では、コペルに隣接する小さな港町イゾラと軍港を持つピランがある)。一方、かつてコペル港を構成していたアンカラン地区は市政府との港をめぐる対立から、2011年に単独の自治体へ分離独立している[2]

人口は52,630人(2020年推計[3])で国内の自治体では4番目に多い。そのため通常の市(基礎自治体)ではなく特別市という扱いとなっている。プリモルスカ大学のキャンパスがある。

歴史[編集]

コペルはアドリア海の北東岸、イーストラ半島の付け根に古代から形成された都市であり、古代ギリシア時代にはAegidaと呼ばれたが、後にラテン語のコペルと改称され、以後定着した。ユスティノポリス (Justinopolis) とも呼ばれた。

1278年ヴェネツィア共和国領となった。1797年オーストリア帝国領となり、トリエステの一部とされた。当時の最多民族はイタリア人で、第一次世界大戦イタリア王国領となった。

第二次世界大戦ではユーゴスラビアが占領し、トリエステ自由地域の一部を経てユーゴスラビアに編入された。この過程で、イタリア系住民のほとんどはイタリア本土への難民となり、スロベニア人が最多民族となった。

1991年のスロベニア独立により、コペルはスロベニア唯一の商業港となった。2014年にアンカラン地区が分離した。

スポーツ[編集]

出身者[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 柴、ベケシュ、山崎、p.17
  2. ^ Kdo bo Ankarančanom diktiral razvoj?”. zurnal24 (2014年10月1日). 2020-0706閲覧。
  3. ^ City Municipality of Koper”. Citypopulation.de (2020年6月17日). 2020年7月6日閲覧。

参考文献[編集]

  • 柴宜弘、アンドレイ・ベケシュ、山崎信一編著『スロヴェニアを知るための60章』明石書店、2017年9月10日。ISBN 978-4-7503-4560-4 

外部リンク[編集]