コアウイラ・イ・テハス州

1824年のメキシコ(明るい灰色の地域(主に北端部)が連邦政府の直轄地、暗い灰色の地域(南部)は自治権を有した州)。コアウイラ・イ・テハス州は自治権を有した州の中では最も北東に位置する。

コアウイラ・イ・テハス州西: Coahuila y Tejas)は、1824年憲法の下で新しく創立されたメキシコ合衆国の州のひとつ。その短い存在の間に、州都が2つあった。ひとつはサルティーヨ(Saltillo)、もうひとつはモンクローバ英語版(Monclova)である。行政上の目的で、州はBéxar(テハス)、Monclovaコアウイラ北部)、Río Grande Saltillo(コアウイラ南部)に3分割され、1835年に憲法が改正されるまで存在した。

歴史[編集]

1832年ベラスコの戦いテクシャンがメキシコ合衆国に勝利した。

1835年憲法アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナは連邦共和制から中央集権制に変えようと試み、国の州(スペイン語estado)は省(スペイン語departamento)になった。コアウイラ・イ・テハス州はコアウイラ省とテハス省の二つに分けられた。

この後、サンタ・アナの政府の中央集権化の企てに反対して、両者ともメキシコから脱退した。1835年に始まったテキサス革命1835年 - 1836年)の結果、1836年にテハス省がテキサス共和国(現:アメリカ合衆国テキサス州)を建国した。

1840年、コアウイラ省にヌエボ・レオン州タマウリパス州が加わり、1年ももたなかった短命のリオグランデ共和国を建国した。

州知事[編集]

氏名 就任 退任
ホセ・フェリックス・トレスパラシオス 1821年 1823年
ルシアーノ・ガルシア 1823年 1824年
ラファエル・ゴンサレス 1824年 1826年
ビクトル・ブランコ 1826年 1827年
ホセ・マリア・ビエスカ 1827年 1830年
ラモン・ムスキス 1830年 1831年
フアン・マルティン・デ・ベラメンディ 1831年 1833年
フアン・ホセ・デ・ビダウリ・イ・ビラセニョール 1833年 1834年
フアン・ホセ・エルゲサバル 1834年 1835年
ホセ・マリア・カントゥ 1835年 1835年
アグスティン・ビエスカ 1835年 1835年
マルシエル・ボレゴ 1835年 1835年
ラモン・ムスキス 1835年 1835年

地図[編集]

関連項目[編集]