グランマ号

ハバナ革命博物館に静態保存されているグランマ号。
グランマ号の航路

グランマ号(Granma)とは、1956年キューバ革命時にメキシコへ亡命していたフィデル・カストロチェ・ゲバラら82名の仲間と共にキューバへ再上陸するのに使ったである。

概要[編集]

グランマ号は本来1943年頃に製造された定員12名のディーゼルエンジン駆動のクルーザーであった。カストロはアメリカ海軍カタリナ飛行艇クラッシュレスキューボート(海に墜落した航空機の乗員を救助する小型艇)を購入しようと試みたものの、資金不足のため中古のヨットとして売られていた本船を50,000メキシコ・ペソ(約15,000米ドル)で買うのがやっとだった。

船はメキシコのトゥスパンを1956年11月25日の深夜に出港し、1週間後の12月2日にキューバへ再上陸を果たすが、定員を遥かに超える82人もの兵士が乗り込んだために衛生環境が悪化し、さらに荒天でキューバ到着が予定より遅れて航海が長引いた事で、上陸する前に彼らの士気は相当下がっていたと言われる。更にカストロは事前に再上陸することを発表していたので、上陸後すぐにバティスタの政府軍に包囲されカストロを含む12人にまで減ってしまう(この時でさえ、ゲバラは、「まだ12人もいるじゃないか!」と前向きだったという)。

現在のキューバ共産党機関紙(事実上の国営新聞)は、この船を記念し『グランマ』と題されている。

現在はハバナ革命博物館に静態保存されている。

関連項目[編集]

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