カルケミシュ

カルケミシュ王国

Karkamiša
前1321頃–前717頃
新ヒッタイト諸王国内のカルケミシュ
新ヒッタイト諸王国内のカルケミシュ
首都 カルケミシュ
共通語 ヒッタイト語象形文字ルウィ語
宗教
ヒッタイト-ルウィの宗教英語版
統治体制 君主制
時代 青銅器時代鉄器時代
• 確立
前1321頃
• 滅亡
前717頃
先行
継承
ミタンニ
新アッシリア帝国
現在 トルコ
シリア
カルケミシュの位置(シリア内)
カルケミシュ
カルケミシュ
シリア国内の位置

カルケミシュCarchemish、またはKarkemishとも綴られる)は北部シリア地方における重要な古代都市。歴史上、ミッタニ(ミタンニ)、ヒッタイトアッシリアの一部であったが、独立していた時代もあった。この都市は『旧約聖書』(エレミヤ書、46:2)にも記される、バビロニア人エジプト人重要な戦い(前605年頃)の舞台でもあった。現在ではトルコシリアの国境線上にあり、トルコ側では現代の都市カルカミス英語版が、シリア側ではジャラブルス英語版が隣接している[1]。現代の地名の元の形はジェラビスDjerabis)またはイェラビスjerabis)であると見られ、恐らくヘレニズム・ローマ時代の居住地の名であるエウロポス(Europos)から派生したものである[2]

名称[編集]

各言語における表記としては、トルコ語:カルカミス/Karkamış[ˈkɑːrkəmɪʃ]KAR-kəm-ishまたは[kɑːrˈkmɪʃ]kar-KEE-mish[3][4]ヒッタイト語𔑵𔗧𔖻𔑺Karkamiš[5]𔗧𔖱𔗧𔖻𔑶Karakamisà/Karikamisà[6] [7]アッカド語𒃻𒂵𒈩Gargamiš [8] エジプト語𓈎𓄿𓂋𓏭𓈎𓄿𓐛𓏭𓂝𓆷𓄿𓌙𓈉qꜣrjqꜣmjꜥšꜣ[9][10]ヘブライ語כַּרְכְּמִישׁKarkəmīšなどとなっている。

地理[編集]

トーマス・エドワード・ロレンスレオナード・ウーリー(右)によって発見された初期ヒッタイトの遺物。カルケミシュにて。

カルケミシュは現在、ユーフラテス川の西岸、トルコガズィアンテプの南東60キロメートル、シリアアレッポの北東100キロメートルに位置する広大な遺跡群である(全体の面積は90ヘクタール。トルコ側が55ヘクタール、シリア側が35ヘクタール)。カルケミシュ遺跡内をバグダード鉄道が横断しており、この鉄道はトルコとシリアの国境となっている。遺跡は川沿いのアクロポリスを含み、それは土製の城壁で囲まれた内側の町(Inner Town)と外側の町(Outer Town、大部分がシリア領にある)からなる。トルコ軍の基地が遺跡に設営されているが、現在アクセスが制限されているのはアクロポリスのみである。

調査史[編集]

トマス・エドワード・ロレンスレオナード・ウーリー(右)カルケミシュにて。1913年春。
qꜣrjqꜣmjꜥšꜣ[9][10]
ヒエログリフで表示
N29 G1 D21
Z4
N29 G1 Aa15
Z4
D36
M8 G1 T14 N25

カルケミシュは『旧約聖書』で幾度も言及されており(エレミヤ書46:2、歴代誌第二35:20、イザヤ書10:9)、エジプトとアッシリアの文書でも言及されるため学者から良く知られていた。しかしながら、その場所がジョージ・スミスによって特定されたのは1876年になってからのことであった。それまでは、ハブール川とユーフラテス川の合流点にある古代都市シルケシウム英語版がカルケミシュであると誤認されていた[11]。なお、初期の学者にはジャラブルスがヒエラポリス・バンビュケであると考える者もいたが、この遺跡は実際には現代のシリア領マンビジに位置する。

カルケミシュ遺跡は1878年から1881年にかけてパトリック・ヘンダーソン領事によって、そして1911年から1914年にかけてデーヴィッド・ジョージ・ホガース英語版の下で、大英博物館によって発掘された。1911年にはホガース本人が、1912年から1914年にかけてはレオナード・ウーリートマス・エドワード・ロレンス(アラビアのロレンス)が現地に入っていた。最後の発掘は1920年にウーリーとフィリップ・ラングスタッフ・オルド・ガイ英語版によって行われた[12][13][14][15]第一次世界大戦のために1914年に発掘が中断され、1920年のトルコ独立戦争と共に終了した[16]。それまでの発掘で防衛設備、神殿群、宮殿群、ルウィ語の象形文字碑文を伴う多数の玄武岩製の彫像とレリーフなど、アッシリア時代と新ヒッタイト時代の重要な遺構が発見された[17]。1956年から1998年の間にトルコ陸軍によって遺跡全体に地雷が敷設された。

古いシリアの印章。アプラハンダ英語版の娘マトルンナ(Matrunna)が女神クババ英語版に礼拝している。前18世紀初頭。.

2011年2月にカルケミシュ遺跡のトルコ側部分で地雷除去作業が終了し、2011年9月から考古学的調査が再開された。「内側の町」と「外側の町」の発掘はニッコロ・マルケッティ(Nicolò Marchetti)教授の指揮でトルコとイタリアガズィアンティプ大学英語版イスタンブル大学、およびボローニャ大学)の合同チームによって行われた[18]

2012年の8月から11月にかけての第2期調査で、いくつかの新たな美術品の発見と考古学的発見があった。最も注目すべきはthe Processional Entry(人々の行列の浮彫が施された王門)の東側のカトゥワの宮殿(Katuwa's palace、前900年頃)である。

2013年5月から10月の第3期調査では、カトゥワの宮殿の発掘範囲が拡張され、マルドゥク神の名の下で行われた祓魔術の粘土板文書が回収され、「内側の町」のなかにあるロレンス発掘小屋跡からは文字通り何百もの彫刻や象形文字碑文の破片が回収された。

第4期調査は2014年5月に始められ、2014年10月まで続けられた。カトゥワの宮殿ではガゼルを運ぶ人々の行列を精巧に彫った羽目板が発見された。それらのうちいくつかは四角い平板で舗装された中庭に隣接して設置されていた。新アッシリア時代にはこの中庭は川の小石で作られ、黒と白が交互に並べられた正方形のモザイクの床で覆われていた。ロレンスの発掘小屋は完全に発掘された。

2015年4月から10月までの第5期調査には、宮殿エリアの後期ヒッタイト時代の彫刻および新アッシリア時代の改修跡でより重要な発見があった。その中にはサルゴン2世がこのカルケミシュ市をどのように占領し作り変えたかについての説明を展示することを意図したユニークな楔形文字文書を刻んだ粘土角柱の破片など数十点の物品がある。この角柱は前605年に新バビロニアがこの都市を占領した際に封印され、深さ14メートルの井戸から回収された。

2016年5月から7月の第6期調査では、国境地帯における警備強化による壁の建設(後述)に伴って多くの発掘区が開かれた。これらによって2016年には周辺地区でも完全な層序記録が得られ、LB II(後期青銅器時代2期)からハカーマニシュ朝(アケメネス朝)時代にかけての都市開発についての理解が大幅に拡大した。

2017年5月7日から7月18日の第7期調査での大きな進展には、アクロポリスの北西端における発掘の開始や、東の下の宮殿(the eastern Lower Palace)地区のLB IIに属する記念碑的建造物の発見がある。出土品の中には完全な状態で発見された鉄器時代の新たな彫刻芸術作品があり、加えてヒッタイト帝国時代の粘土板文書の断片、約250個の彫刻されたブッラなどが特筆される。

2019年5月4日から7月20日までの第8期調査では、アクロポリス頂上にLB IIに属する巨大な宮殿が存在することが明らかにされ、C地区東(area C East)でより多くの建造物が発掘・発見されるとともに(これらはヒッタイトのE2.KIŠIBと見られる)、S地区(area S)では鉄器時代I期の倉庫設備がさらに明らかにされた。ガズィアンテプ市とガズィアンテプ県の支援の下、保全・展示作業が完了し、2019年7月13日からカルケミシュ遺跡の上記の3つの大学およびイタリア外務省、サンコ・ホールディング(the Sanko Holding)が財政的な支援を与えており、Şahinbey MunicipalityとInta A.Şが技術的な支援を行っている。

遺跡のシリア側の調査はカルケミシュ・プロジェクト英語版の一環として執り行われた[19]。カルケミシュの「外側の町」はレヴァント・イギリス調査評議会英語版イギリス学士院の資金と後援を受け、故T・J・ウィルキンソン英語版教授とE・ペルテンバーグ(E. Peltenburg)の指揮の下、ダマスカスのDGAM(Directorate-General of Antiquities)と共同で行われた[20]

シリア側に広がる「外側の町」地域はシリア内戦以前に危機遺産に登録されており、耕作の拡大、そして特に都市域の浸食によって世界遺産基金(Global Heritage Fund)によって「危機にある(at risk)」に分類されている。「外側の町」のシリア部分のフィールド評価では、現代のジェラブルス都市域の境界が「外側の町」の上にまで広がっていることが記録されている[21]。2019年7月、カルケミシュでのトルコとイタリアの考古学調査では、シリアの「外側の町」の科学的な視察が行なわれ、広がり続けるジェラブルスの町による浸食や、国境の南に建設されたトラック用施設からこの地域を守ることが求められた。ジェラブルス市議会はカルケミシュ遺跡の鉄器時代の市壁に囲われた地域全域を「第一保護地区(first degree protected site)」であると定めた。これはこの地区での活動が全面的に禁止されたことを意味する。

2016年2月、トルコ軍によってユーフラテス橋(Euphrates bridg)とカルカミス駅の間に延びる鉄道路線の南側にプレハブ式の防犯用の壁(カルケミシュの古代遺跡に損傷を与えないよう、基礎は作られていない)が設置された。

居住史[編集]

座標: 北緯36度49分47秒 東経38度00分54秒 / 北緯36.82972度 東経38.01500度 / 36.82972; 38.01500

カトゥワ英語版王のモニュメントにあった玄武岩製の獅子頭像。大英博物館収蔵[22][23]
前2千年紀のシリアの地図。カルケミシュの位置は「Karkemish」という表記で示されている。

カルケミシュは新石器時代または金石併用時代以来人類が居住しており[24](甕棺〈pot burials〉の埋葬跡がある)、前2400年頃(初期青銅器時代)からは石棺(cist tombs)が見つかるようになる。エブラで発見された前3千年紀の文書庫の文書にもカルケミシュへの言及がある。マリおよびアララハの文書庫で見つかった前1800年頃に年代付けられる文書によれば、カルケミシュはアプラハンダ英語版という名の王によって統治されており、木材貿易の重要拠点であった。カルケミシュはウガリトおよびミッタニ(ミタンニ、ハニガルバト)と条約を結んでいた。古代には、この都市はユーフラテス川の渡し場となるこの地域の主要な浅瀬を支配下においていた。このことはその歴史的・戦略的重要性に極めて大きく寄与していたに違いない。

エジプト第18王朝ファラオトトメス1世はカルケミシュ近郊に自らのシリアおよびユーフラテス川の向こう側の土地の征服を記念した石碑を建立している。ファラオ・アクエンアテンの治世終わり頃、カルケミシュはヒッタイトシュッピルリウマ1世(前14世紀頃)によって占領された。彼はカルケミシュを息子のピヤシリ英語版が統治する王国とした。

後期青銅器時代の間、カルケミシュはヒッタイト帝国の最も重要な拠点の1つとなり、前13世紀頃にはその頂点に達した。前1200年のカタストロフの最中、ヒッタイト帝国が海の民の手に落ちた時にも、カルケミシュは海の民の攻撃を生き延び、鉄器時代シロ・ヒッタイト国家群英語版の重要な首都となった[25]。ラムセス3世はメディネト・ハブ葬祭殿の治世第8年の碑文でカルケミシュが海の民によって破壊されたと述べているが、カルケミシュは間違いなくこの攻撃を生き延びている[26]。クジ・テシュブ1世はこの地で権力を行使したことが証明されている人物であるが、彼は最後のヒッタイト王シュッピルリウマ2世の同時代人であったタルミ・テシュブ英語版の息子であった[27]。彼とその後継者たちは小アジア南東部から北部シリアおよびユーフラテス川の西側屈曲部の間に広がる「小帝国」を[28]、「大王」の称号の下に支配した。このことはクジ・テシュブが彼自身を偉大なるシュッピルリウマ1世の家系(ヒッタイト王家)の真の後継者と見做していたこと、そしてヒッタイトの首都ハットゥシャの王家がもはや存在しなかったことを示している[29]。カルケミシュの強力な王国は前1175年頃から前975年まで続いた。やがて、周辺の支配地を徐々に失いはじめ、カルケミシュ市周辺を中心とした地方都市国家になっていった[30][31]

カルケミシュの守護女神は恐らくフルリ人(フリ人)に起源を持つ神であるクババ英語版である[32]。この女神は長いローブを纏い、鏡を持つ立ち姿、または座った姿の威厳ある女性として描写された。この都市で崇拝される主たる男神はヒッタイトの牡鹿の神クルンタ(Kurunta)と同系の神、カルフハ(Karhuha)であった。

前9世紀、サンガラ(Sangara)王がアッシリアアッシュル・ナツィルパル2世シャルマネセル3世に貢納を納めた。そしてピシリ(Pisiri)王治世下の前717年、カルケミシュはサルゴン2世に征服された。2015年に初めてサンガラの名が記録された象形文字碑文がカルケミシュ遺跡自体から発見された(これは1876年に後述するジョージ・スミスによって描かれた石碑の頂上部であり、1881年に大英博物館に運ばれた)。サルゴン2世はカルケミシュを重要な属州の首都へと変えた。

前605年の夏、ネブカドネザル2世バビロニア軍とファラオ・ネコ2世のエジプトおよびアッシリア軍の残党(エレミヤ書46:2)の間でカルケミシュの戦いが行われた。ネコ2世の遠征の目的は新バビロニアの西進を食い止め、ユーフラテス川を渡る交易路を遮断することであった。しかし、エジプト軍はバビロニア軍の奇襲によって敗退し、最終的にシリアから放逐された。

トルコとイタリアによる発掘調査では、カルケミシュ遺跡には、新バビロニアによる短期間のカルケミシュ占領から1900年代初頭の最終的なカルケミシュの放棄に至るまでの間にハカーマニシュ朝(アケメネス朝)による占領の3つの層、ヘレニズム時代に行われた重要な再建、後期ローマ時代の記念碑的な層、初期ビザンツ時代およびアッバース朝期の3つの層が存在することが発見された[33]

カルケミシュ王の一覧[編集]

[34]

ヤリリ(Yariri、右)とカマニ(Kamani、左)。摂政および後のカルケミシュの統治者。
君主 推定統治年代(紀元前) 備考
アドニ・アンダ (Adni-anda)(?) ?-1786
アプラハンダ1世英語版 1786頃-1764頃 アドニ・アンダ (Adni-anda)の息子
ヤタル・アミ英語版 1764頃-1763頃 アプラハンダ1世英語版の息子
ヤフドゥン・リム 1763頃-1745頃? ビヌ・アミ (Bin-Ami)の息子
アプラハンダ2世 (Aplah-anda II) 1745頃?-? ヤフドゥン・リムの息子?
ピヤシリ英語版またはシャリ・クシュク(Sharri-Kushukh) 前1315頃 ヒッタイト王シュッピルリウマ1世の息子
[ ... ]シャルマ(sharruma) ピヤシリの息子
シャクルヌワ(Shakhurunuwa) ピヤシリの息子
イニ・テシュブ1世 1230頃
タルミ・テシュブ英語版 1200頃
クジ・テシュブ英語版 1170頃 ヒッタイトの滅亡後「大王」の称号を用いた。
イニ・テシュブ2世(Ini-Teshub II) 1100頃
トゥトハリヤ英語版 1100頃 イニ・テシュブ2世の前、または後I
サパジティ(Sapaziti) 1025頃
ウラタルフンダ(Uratarhunda) 1000頃
スヒ1世英語版 975頃
アストゥワラマンザ英語版 950頃
スヒ2世英語版 925頃
カトゥワ英語版 900頃
スヒ3世 (Suhi III) 890頃
サンガラ英語版 870頃-848頃
イサルウィラムワ (Isarwilamuwa) 840頃
クワラナムワ (Kuwalanamuwa) 835頃
アスティル1世英語版 830頃
ヤリリ英語版(摂政、regent) 815頃
カマニ英語版 790頃
サストゥラ英語版 760頃
アスティル2世英語版 (?)
ピシリ英語版 730代頃 最後の王。717年、サルゴン2世によって破られた。

物質文化[編集]

カルケミシュから発掘された多くの品々の中で、この地域に典型的なのはシリア手製騎馬像英語版(Euphrates Handmade Syrian Horses and Riders[訳語疑問点])とシリア柱状人物像英語版である(Euphrates Syrian Pillar Figurines[訳語疑問点])。これらの粘土製像は前8世紀半ばから前7世紀に年代付けられ、カルケミシュから数百点発見されている。これらのテラコッタはカルケミシュの新アッシリア時代に製造されたものであり、現代では男性像と女性像が重要な公共の役割を果たす人物たちを象ったものであると考えられている[35][36][37]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Lawrence of Arabia . Locations . Syria | PBS”. www.pbs.org. 2021年11月閲覧。
    (『アラビアのロレンス:地理:シリア』(公共放送サービス(米国)))
  2. ^ Di Cristina, Gallerani & Lepore 2017, pp. 129–150.
  3. ^ "Carchemish" in Merriam-Webster Dictionary”. 2020年9月29日閲覧。
    (『カルケミシュ』ウェブスター辞典)
  4. ^ "Carchemish" in Collins Dictionary”. 2020年9月29日閲覧。
    (『カルケミシュ』コリンズ英語辞典)
  5. ^ Hawkins 1980.
  6. ^ Hawkins 2000, p. 74" Part 1: Text, Introduction, Karatepe, Karkamis, Tell Ahmar, Maras, Malatya, Commagene.."
    (第1部:文書、導入、カラテペ、カルカミス、テル・アフマル、マラス、マラティヤ、コンマゲネ・・・)
  7. ^ Hawkins 2000, pp. 80–83"Part 3: Plates."
    (第3部:石版)
  8. ^ Parpola 1970, pp. 364–365.
  9. ^ a b Gauthier 1928, pp. 157–158.
  10. ^ a b Budge 1920, p. 1042.
  11. ^ CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: Circesium”. www.newadvent.org. 2021年11月閲覧。
    (『シルケシウム』(カトリック百科事典))
  12. ^ Hogarth 1911.
  13. ^ Hogarth 1914.
  14. ^ Woolley 1921.
  15. ^ Woolley & Barnett 1952.
  16. ^ Güterbock 1954, pp. 102–114.
  17. ^ Wright 1886.
  18. ^ Marchetti 2012, pp. 132–147.
  19. ^ Wilkinson, Peltenburg & Wilkinson 2016.
  20. ^ Peltenburg 2007.
  21. ^ Wilkinson & Peltenburg 2010, pp. 11–20.
  22. ^ British Museum Collection
    (大英帝国博物館収蔵品)
  23. ^ Bilgin 2014.
  24. ^ Langer 1972, p. 9.
  25. ^ Giusfredi 2010, pp. 35–51.
  26. ^ Beckman 2000, p. 23.
  27. ^ Kitchen 2006, pp. 99, 140.
  28. ^ Kitchen 2006, p. 99.
  29. ^ Bryce 2006, p. 384.
  30. ^ Kitchen 2006, p. 100.
  31. ^ Giusfredi 2010, pp. 37–44.
  32. ^ Hutter 2003, pp. 211–280.
  33. ^ Zaina 2019.
  34. ^ Peker 2016, pp. 47–49.
  35. ^ Bolognani 2017, pp. 172, 220, 246–247.
  36. ^ Bolognani 2020a.
  37. ^ Bolognani 2020b.

参考文献等[編集]

大英博物館による調査関係[編集]

トルコ・イタリア合同調査関係[編集]

  • Bitelli, Gabriele; Girardi, Fabrizio; Girelli, Valentina Alena (2014). “Digital enhancement of the 3D scan of Suhi I's stele from Karkemish”. Orientalia 83 (2): 154-161. 
    (『オリエンタリア』(グレゴリアン大学聖書出版(イタリア))第83号第2分冊(2014年)p.154~161に収録されている『カルケミシュ出土スヒ1世の石碑のデジタル高解像3Dスキャン』(共著:ガブリエル・ビテリ、ファブリツィオ・ジラルディ、ヴァレンティーナ・アレナ・ジレッリ))
  • Bolognani, Barbara (2017) (英語). The Iron Age Figurines from Karkemish (2011-2015 Campaigns) and the Coroplastic Art of the Syro-Anatolian Region. University of Bologna. http://amsdottorato.unibo.it/8222/7/Bolognani_Barbara_tesi.pdf. "unpublished doctoral dissertation" 
    (『カルケミシュ出土(2011~2015年調査)の鉄器時代の小立像とシロ・アナトリア地方のコロプラスティック芸術』(著:バーバラ・ボロニャーニ、2017年、未出版博士論文、ボローニャ大学))
  • Bolognani, Barbara (2020a). The Iron Age Female Figurines from Karkemish and the Middle Euphrates Valley. Preliminary Notes on Some Syrian Pillar Figurines. De Boccard. p. 209-223. https://www.academia.edu/41710319/The_Iron_Age_Female_Figurines_from_Karkemish_and_the_Middle_Euphrates_Valley_Preliminary_Notes_on_Some_Syrian_Pillar_Figurines. "Figurines féminines nues : Proche-Orient, Égypte, Nubie, Méditerranée, Asie centrale (VIIIe millénaire av. J.-C. - IVe siècle ap. J.-C.)" 
    (『裸の女性の小立像:近東、エジプト、ヌビア、地中海、中央アジア(紀元前8千年紀~紀元4世紀)』(2020年、ドゥ・ブカード社(フランス))p.209~223に収録されている『カルケミシュ及びユーフラテス中流域出土の鉄器時代の女性小立像:シリアの柱状小立像についての草稿』(著:バーバラ・ボロニャーニ))
  • Bolognani, Barbara (2020b) (英語). Figurines as Social Markers: The Neo-Assyrian Impact on the Northern Levant as Seen from the Material Culture. University of Udine. p. 43-57. https://www.academia.edu/44613909/Figurines_as_social_markers_the_Neo_Assyrian_impact_on_the_Northern_Levant_as_seen_from_the_material_culture. "Katia Gavagnin, Rocco Palermo (eds), Imperial Connections. Interactions and Expansions from Assyria to the Roman Period. Proceedings of the 5th “Broadening Horizons” Conference, 5–8 June 2017" 
    (『帝国の交流:アッシリアからローマ時代における相互作用と拡張 「ブロードニング・ホライズン」(若手研究者による国際会議)2017年6月5~8日会議録』(編:カティア・ガヴァンニン、ロッコ・パレルモ、2020年、ウーディネ大学)p.43~57に収録されている『標識としての小立像:素材文化から見る北部レバント地方における新アッシリアの衝撃』(著:バーバラ・ボロニャーニ))
  • Di Cristina, Silvia; Gallerani, Valentina; Lepore, Giuseppe (2017). “Europos on the Euphrates: Continuities and Discontinuities at an Oriental Classical City”. Mesopotamia 52: 129–150. 
    (『メソポタミア』(イタリアのトリノ大学の考古学術誌)第52巻(2017年)p.129~150に収録されている、『ユーフラテスにおけるヨーロッパ:オリエント古代都市における連続性と断続』(著:シルヴィア・ディ・クリスティーナ、ヴァレンティーナ・ガッレラーニ、ジュゼッペ・レポー)
  • Dinçol, Ali; Dinçol, Belkis; Hawkins, J. David; Marchetti, Nicolò; Peker, Hasan (2014). “A Stele by Suhi I from Karkemish”. Orientalia 83 (2): 143-153. 
    (『オリエンタリア』(グレゴリアン大学聖書出版(イタリア))第83号第2分冊(2014年)p.143~153に収録されている『カルケミシュ出土のスヒ1世の石碑』(著:アリ・ディンコル、ベルキス・ディンコル、J・デーヴィッド・ホーキンス、ニコロ・マッシェティ、ハサン・ピーカー))
  • Dinçol, Ali; Dinçol, Belkis; Peker, Hasan (2014). “An Anatolian Hieroglyphic Cylinder Seal from the Hilani at Karkemish”. Orientalia 83 (2): 162-165. 
    (『オリエンタリア』(グレゴリアン大学聖書出版(イタリア))第83号第2分冊(2014年)p.162~165に収録されている『カルケミシュのヒラニ出土のアナトリア語円筒形象形文字碑文』(著:アリ・ディンコル、ベルキス・ディンコル、ハサン・ピーカー))
  • Marchesi, Gianni (2014). “Epigraphic Materials of Karkemish from the Middle Bronze Age”. Orientalia 83 (2): 166-181. 
    (『オリエンタリア』(グレゴリアン大学聖書出版(イタリア))第83号第2分冊(2014年)p.166~181に収録されている『中期青銅時代に属するカルケミシュの碑文素材』(著:ジャンニ・マルケージ))
  • Marchesi, Gianni (2014). “A Bilingual Literary Text from Karmenish Featuring Marduk (with contributions by W.R. Mayer and S.V. Panayotov)”. Orientalia 83 (4): 333-340. 
    (『オリエンタリア』(グレゴリアン大学聖書出版(イタリア))第83号第4分冊(2014年)p.333~340に収録されている『カルケミシュから出土した、マルドゥクについて書かれたバイリンガルの文学文書(W・R・メイヤーとS・V・パナヨートフの協力を得て)』(著:ジャンニ・マルケージ))
  • Marchetti, Nicolò (2013). The 2011 Joint Turco-Italian Excavations at Karkemish. Türkiye Cumhuriyeti Kültür ve Turizm Bakanlığı. p. 349-364. "in "34. kazı sonuçları toplantısı, 28 Mayıs-1 Haziran 2012, Çorum. 1"" 
    (『第34回発掘結果協議 2012年5月28日~6月1日 (トルコ)チョルムにて』第1巻、2013年、トルコ文化観光省)p.349~364に収録されている『カルケミシュにおける2011年トルコ・イタリア共同発掘』(著:ニッコロ・マルケッティ))
  • Marchetti, Nicolò (2014). The 2012 Joint Turco-Italian Excavations at Karkemish. Türkiye Cumhuriyeti Kültür ve Turizm Bakanlığı. p. 233-248. "in "3kazı sonuçları toplantısı, 27–31 Mayıs 2013, Muğla. 3. "" 
    (『第35回発掘結果協議 2013年5月27日~31日 (トルコ)ムーラにて』第3巻、2014年、トルコ文化観光省)p.233~248に収録されている『カルケミシュにおける2012年トルコ・イタリア共同発掘』(著:ニッコロ・マルケッティ))
  • Marchetti, Nicolò (2014) (英語). Karkemish. An Ancient Capital on the Euphrates. Ante Quem. https://www.orientlab.net/pubs/. "参照先でダウンロード可能" 
    (『カルケミシュ ユーフラテス川沿いの古代首都』(ニッコロ・マルケッティ、2014年、アンテ・クエム社(イタリア)))
  • Marchetti, Nicolò (2014). “Bronze Statuettes from the Temples of Karkemish”. Orientalia 83 (3): 305-320. 
    (『オリエンタリア』(グレゴリアン大学聖書出版(イタリア))第83号第3分冊(2014年)p.305~320に収録されている『カルケミシュの神殿から出土した青銅製の小像』(著:ニッコロ・マルケッティ))
  • Marchetti, Nicolò (2015) (英語). Karkemish. New Discoveries in the Last Hittite Capital. Current Publishing Ltd. p. 18-24. "in Current World Archaeology 70" 
    (雑誌『世界の最新考古学』(カレント出版(英国))第70号(2015年)p.18-24に収録されている『カルケミシュ ヒッタイト最後の首都における新発見』(著:ニッコロ・マルケッティ))
  • Marchetti, Nicolò (2019) (フランス語). Les programmes publics de communication visuelle à Karkemish entre la fin du IIe millénaire et le début du Ier millénaire avant J.-C.. Louvre éditions. p. 154-161. "in Vincent Blanchard (ed.), Royaumes oubliés. De l'Empire hittite aux Araméens" 
    (『失われた王国 ヒッタイト帝国からアラムまで』(編:ヴィンセント・ブランチャード、2019年、ルーブル出版(フランス))p.154-161に収録されている『紀元前2千年紀末から紀元前1千年紀始めにかけてのカルケミシュの公式ビジュアルガイド』(著:ニッコロ・マルケッティ))
  • Marchetti, Nicolò (2012 ). “Karkemish on the Euphrates: Excavating a City's History”. Near Eastern Archaeology 75 (3): 132-147. https://www.jstor.org/stable/10.5615/neareastarch.75.3.0132?refreqid=excelsior%3Aad2d9946ae3ac1098df0ce0d05909fd3. 
    (シカゴ大学東洋研究所季刊誌『近東考古学』第75号(2012年)第3分冊p132~147に収録されている『ユーフラテス川沿いのカルケミシュ:都市の歴史を発掘する』(著:ニコロ・マルケッティ)
  • Marchetti, Nicolò; Peker, Hassan (2014). “A Stele from Gürçay near Karkemish”. Orientalia 83 (2): 182-188. 
    (『オリエンタリア』(グレゴリアン大学聖書出版(イタリア))第83号第2分冊(2014年)p.182~188に収録されている『カルケミシュ付近のグーチェから出土した石碑』(著:ニッコロ・マルケッティ、ハッサン・ピーカー))
  • Peker, Hassan (2014). “A Funerary Stele from Yunus”. Orientalia 83 (2): 189-193. 
    (『オリエンタリア』(グレゴリアン大学聖書出版(イタリア))第83号第2分冊(2014年)p.189~193に収録されている『(カルケミシュの)ユヌスから出土した葬式の石碑』(著:ハッサン・ピーカー))
  • Peker, Hassan (2016) (英語). Texts from Karkemish I. Luwian Hieroglyphic Inscriptions from the 2011-2015 Excavations (OrientLab Series Maior 1). Ante Quem 
    (『カルケミシュ1地区の文書:2011~2015年の発掘により出土したルウィ語の象形文字碑文』(オリエントラボ・シリーズ 第1巻(著:ハッサン・ピーカー、2016年、アンテ・クエム社(イタリア)))
  • Pizzimenti, Sara (2014). “Three Glyptic Documents from Karkemish”. Orientalia 83 (2): 194-201. 
    (『オリエンタリア』(グレゴリアン大学聖書出版(イタリア))第83号第2分冊(2014年)p.194~201に収録されている『カルケミシュ出土の3つの宝石彫刻文書』(著:サラ・ピジメンティ))
  • Zaina, Federico (2019) (英語). Excavations at Karkemish I. The Stratigraphic Sequence of Area G (OrientLab Series Maior 3). Ante Quem 
    (『カルケミシュ1地区の発掘:G地区における層理の順序』(オリエントラボ・シリーズ 第3巻(著:フェデリコ・ザイナ、2019年、アンテ・クエム社(イタリア)))
  • Zecchi, Marco (2014). “A Note on Two Egyptian Seal Impressions from Karkemish”. Orientalia 83 (2): 202-206. 
    (『オリエンタリア』(グレゴリアン大学聖書出版(イタリア))第83号第2分冊(2014年)p.202~206に収録されている『カルケミシュ出土の2つのエジプト印章の印影についての小論文』(著:マルコ・ゼッキ))

その他の参考文献[編集]

  • Beckman, Gary (2000). “Hittite Chronology”. Akkadica 119-120: 19-32. 
    (ジョルジュ・ドッサン記念アッシリア学センター(ベルギー)発行の学術誌『アッカディカ』第119・120号(2000年)p.19~32に収録されている『ヒッタイトの年代学』(著:ゲイリー・ベックマン))
  • Bryce, Trevor R. (2006) (英語). The Kingdom of the Hittites. Oxford University Press 
    (『ヒッタイト王国』(著:トレバー・R・ブライス、2006年、オックスフォード大学出版))
  • Budge, E.Alfred Wallis (1920) (英語).  An Egyptian hieroglyphic dictionary: with an index of English words, king list and geological list with indexes, list of hieroglyphic characters, coptic and semitic alphabets, etc. Vol II. J. Murray. https://archive.org/details/egyptianhierogly02budguoft 
    (『エジプト象形文字事典:英語版目次、王名表、地名表、象形文字表、コプト語・セム語表など付属』第2巻(著:ウォーリス・バッジ、1920年、ジョン・マレー出版(英国)))
  • Gauthier, Henri (1928) (フランス語).  Dictionnaire des Noms Géographiques Contenus dans les Textes Hiéroglyphiques 5. https://archive.org/details/Gauthier1928/page/n81 
    (『象形文字文書の地名事典』第5巻(著:アンリ・ゴティエ、1928年))
  • Giusfredi, Federico (2010) (英語). Sources for a Socio-Economic History of the Neo-Hittite States. Universitätsverlag Winter. p. 35-51 
    (『新ヒッタイト国社会経済史の史料』(著:フェデリコ・ギュスフレディ、2010年、ウィンター大学出版(ドイツ)))
  • Güterbock, H.G. (1954). “Carchemish”. Journal of Near Eastern Studies 13 (2): 102-114. 
    (近東研究誌(シカゴ大学)第13巻第2分冊(1954年)p. 102~114に収録されている『カルケミシュ』(著:H.G.ギューターボック))
  • Hawkins, John David (1980) (ドイツ語). "Kargamiš" in "Reallexikon der Assyriologie und Vorderasiatischen Archäologie". Walter de Gruyter 
    (『アッシリア学・近東考古学辞典』(1980年、ウォルター・ド・グルーター出版(ドイツ))に収録されている『カルケミシュ』(著:ジョン・デーヴィッド・ホーキンス))
  • Hawkins, John David (2000) (英語).  Corpus of Hieroglyphic Luwian Inscriptions. Vol. 1: Inscriptions of the Iron Age. Walter de Gruyter 
    (『ルウィー語象形文字碑文のコーパス(言語資料) 第1巻:鉄器時代の碑文』(著:ジョン・デーヴィッド・ホーキンス、2000年、ウォルター・ド・グルーター出版(ドイツ)))
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    (『ヒッタイト問題とカルケミシュの発掘』(著:デーヴィッド・ジョージ・ホガース、1911年、オックスフォード大学出版))
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    (『ルウィ人』(2003年、ブリル出版)のp,211~280に収録されている『第6章 ルウィの宗教の様相』(著:マンフレート・フッター))
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    (『旧約聖書の信頼性』(著:K・A・キッチン、2006年、アードマンズ出版(米国)))
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    (『世界史百科事典:古代、中世、現代:年代的編集』(著:ウィリアム・レオナルド・レンジャー、1972年、ホートン・ミフリン社(米国)))
  • Parpola, Simo (1970) (英語).  Neo-Assyrian Toponyms. Kevaeler: Butzon & Bercker. https://archive.org/details/neoassyriantopon0000parp 
    (『新アッシリアの地名』(著:シモ・パラポラ、1970年、ブゾン・バーカー社(ドイツ)))
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  • Wilkinson, Tony. J.; Peltenburg, Edgar (2010). “Carchemish in Context: Surveys in the Hinterland of a Major Iron Age City.”. Bulletin of the Council for British Research in the Levant 5 (1): 11-20. https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1179/175272710X12828116505919. 
    (『英国レヴァント調査会議会報』第5巻p.11~20に収録されている『カルケミシュの文脈:鉄器時代主要都市の後背地における調査』(著:トニー・J・ウィルキンソン、エドガー・ペルテンバーグ))
  • Wilkinson, Tony. J.; Peltenburg, Edgar; Wilkinson, Elenor Barbanes (2016) (英語). Carchemish In Context : Land of Carchemish (Syria) Project, 2006-2010. Oxbow Books. https://www.researchgate.net/publication/299599240_Long-term_settlement_trends_in_the_Birecik-Carchemish_Sectors 
    (『カルケミシュの文脈:カルケミシュ・プロジェクト 2006~2010年』(著:トニー・J・ウィルキンソン、エドガー・ペルテンバーグ、エレノア・バーバネス・ウィルキンソン、2016年、オックスボウ・ブックス(英国)))
  • Wilson, David M. (2002) (英語). he British Museum. A history.. The British Museum Press 
    (『大英博物館 その歴史』(著:デーヴィッド・M・ウィルソン、2002年、大英博物館出版))
  • Wright, William (1886) (英語). The Empire of the Hittites: with Decipherment of Hittite inscriptions. Ballantyne Press. https://ia800701.us.archive.org/27/items/empireofhittites00wrig/empireofhittites00wrig.pdf 
    (『ヒッタイト帝国:ヒッタイト碑文の解読文付き』(著:ウィリアム・ライト、1886年、バランタイン出版))

ウェブサイト[編集]

  • Bilgin, Tayfun (2014年). “The Statue Base with Lions” (英語). Hittite Monuments. 2021年1月25日閲覧。
    (ウェブサイト『ヒッタイトの記念碑』の「カルケミシュ」に収録されている『ライオン像のある土台』(管理人:テイファン・ビルジン))

外部リンク[編集]