オリーブ

オリーブ
オリーブの樹
分類
: 植物界 Plantae
階級なし : 被子植物 angiosperms
階級なし : 真正双子葉類 eudicots
階級なし : キク類 asterids
: シソ目 Lamiales
: モクセイ科 Oleaceae
: オリーブ属 Olea
: オリーブ O. europaea
学名
Olea europaea
和名
オリーブ
英名
Olive
本種および亜種の原生地
オリーブの果実と葉。果実は色が緑から紫を経て黒に変わっていくがどちらも利用できる。緑のものをグリーンオリーブと呼び加工用にされる。黒のものをブラックオリーブと呼び生食にもされる。

オリーブ(阿利襪[1]、阿列布、橄欖[注 1]: olive [ˈɒlɨv]学名: Olea europaea)は、モクセイ科常緑高木。実が食用油オリーブ・オイル)の原料や食用になるため、広く栽培されている。

概要[編集]

果実は油分を多く含み、主要な食用油の一つであるオリーブ・オイルの原料である。 古代から重要な油糧作物として知られている。また原産地が西洋文明の発祥区域であった地中海沿岸であるため、旧約聖書がオリーブ(זַיִת zayit)のをくわえて帰ってきたのを見てノア洪水が退いたことを知った(『創世記』8章11節)という記述をはじめ多くの文化的記録が残っている。葉が小さくて硬く、比較的乾燥に強いことからスペインイタリアなどの地中海地域で広く栽培されている。

紀元前700年頃から古代ギリシアはオリーブの栽培によって国力を蓄え、今日の産油国のように繁栄を迎えた。オリーブには希少価値があり、ヘロドトスは紀元前5世紀頃に「アテナイを除き、世界のどこにもオリーブの木は存在しない」と記述している。ギリシアが地中海各地に植民市を建設するとともに、オリーブの木も移植され広まっていった。紀元前370年頃にイタリア半島へ移植され、やがてオリーブの主要生産地の一つとなった[2]

古代ギリシア語ではἐλαία (「エライアー」、オリーブの木やオリーブの実を指す)、あるいはἔλαιον (「エライオン」、オリーブ・オイルを指す)。前者は古くἐλαίϝα(「エライワー」)のように発音されており、それをラテン語に借用した形がŏlīva(「オリーワ」)である[3]ロマンス諸語のイタリア語oliva、スペイン語oliva、フランス語oliveはいずれもラテン語に由来する。英語のoliveは古フランス語からの借用である。なおオリーブ・オイルを指すἔλαιονの方はラテン語に借用されてoleumとなり、イタリア語olio、フランス語huile、英語oil(いずれも「油」を意味する)はいずれもこのラテン語に由来する[注 2]

日本語では基本的には英語やフランス語を音写した「オリーブ」と呼ばれ、まれに「橄欖(かんらん)」と呼ばれることもあるが、橄欖は本来オリーブとは全く異なるカンラン科の常緑高木である(カンラン (カンラン科)参照)。これは、オリーブに似た緑色の鉱物オリビン(olivine)を和訳する際に、まったく違う樹木である橄欖の文字を誤って当てて「橄欖石(かんらんせき)」と名づけてしまい、植物のほうも同様に誤字が流布してしまった結果であるという説がある。ただし、明治初期に和訳された新約聖書マタイによる福音書』の中に「橄欖山の垂訓」があり、当時はオリーブを用法の似た「かんらん」と混同ないし、同一視されていたため、鉱物の誤訳説には疑問がある。また別の説では、カンランの果実を塩蔵したものを英語で chinese olive と称したことによるとも言われる。

利用[編集]

オリーブの果実は油を搾るほか食用にされる。そのまま生食すると苦味が強いが、加熱すると苦味がやわらぐため、ピクルスピザの材料としたり、塩漬けにしてカクテルマティーニに添えられたりする。また種子からも油が取れるが、これはオリーブ核油といい、オリーブ油よりも品質が劣る。

日本国内の産地である香川県では、飼料にも使われている。葉の粉末入りの餌を与えた養殖ハマチはさっぱりした味わいになるという[4]。搾油後の果実は食用の地鶏に与えられている[5]

オリーブの木材は硬く(の先で押してもほとんど傷つかない)重く(比重は約0.9)緻密で、油分が多く耐久性がある。このため装飾品や道具類、特にまな板すり鉢すりこぎスプーン、調理用へらなどの台所用品を作るのによく用いられる。木製品としてはかなり高価である。日本では印鑑の材料にされることもある。辺材は黄白色、心材は黄褐色で、褐色の墨流しのような不規則なしま模様がある。オリーブ材の加工はフランスやイタリアなどで盛んだが、ヨーロッパのオリーブは幹が細いものが多く、加工用のオリーブ材はチュニジアなどのアフリカ産が多い。日本でも小豆島でオリーブ材をわずかに生産している。

害虫[編集]

4月頃から先端が青虫に食害されることが多い。これを防ぐためにフェニトロチオン等の乳剤の希釈液を幹にだけ塗布する樹幹散布が行われる。日本での栽培においては日本の固有種[6]オリーブアナアキゾウムシによる被害が大きい。このゾウムシは成虫は体長15mm、体幅6mm程度で体色は黒褐色をしており[7]、幼虫は幹に穴を開けながら食べ続け[6]、成虫も樹皮を食害する[6]。成虫はオリーブの根本で越冬し、落ち葉や雑草が多くなるほど数が増える[8]

生産について[編集]

オリーブの生産地

オリーブは重要な商品作物である。国際連合食糧農業機関(FAO)の統計資料によると、98%以上の生産国は地中海に面し、そのうち、2/3がヨーロッパ州に集中している。

2002年のオリーブの実の生産量は1398万トンであり、全体の30.8%をスペインが生産(430万トン)していた。生産上位10カ国は、スペイン、イタリア(19.5%)、ギリシャ(14.3%)、トルコ(10.7%)、シリア(7.1%)、モロッコ(3.0%)、ポルトガルエジプトアルジェリアヨルダンである。うちトルコにおける「オリーブの栽培に関する伝統的な知識、方法と慣行」は2023年にユネスコ無形文化遺産の緊急指定リストに登録された[9]

1960年には年産400万トンだったが、1990年に1000万トンを超えた。2002年までの10年間に生産量が著しく増加した国は、スペイン(140万トン)、シリア(80万トン)、トルコ(70万トン)、エジプト(30万トン)。ギリシャ(20万トン)、ヨルダン(15万トン)である。逆に、減少が著しい国はイタリア(50万トン)、チュニジア(20万トン)である。

2002年時点で、地中海に面した国のうちオリーブ生産量(果実)が少ないのはアルバニア(2.7万トン)、キプロス(1.8万トン)、フランス(2万トン)、マルタのみである。地中海以外であっても、地中海性気候に属する地域を含む国ではオリーブは生産されている。例えば、イラン(4万トン)である。中央アジアでもわずかに生産されているが統計データとしてはごく少量である。

北米大陸では、カナダ南部ソルトスプリング島でも生産されるようになっている[10]

日本では[編集]

日本では江戸時代平賀源内ホルトノキをオリーブと誤認して栽培に取り組んだ[要出典]明治維新後、殖産興業をめざす明治政府は海外の有用動植物を移入して国内での繁殖・栽培を試み、暖地性作物については1878年に神戸に3000の園地を設け、ゴムノキのほかオリーブを植えた。当時は「神戸阿利襪(オリーブ)園」と書き、現在の神戸北野ホテル近くにあった。主導したのは、フランス留学時に多くの植物を持ち帰った薩摩藩出身の前田正名である。1882年には実の塩蔵品とオリーブ・オイルを生産するに至り、その味はフランス出身のお雇い外国人ボアソナードが絶賛する程であった。西南戦争で財政難に陥った明治政府はオリーブ園の売却を決め、1888年に前田に払い下げ、前田は後に川崎正蔵川崎造船所創業者)に売った。日露戦争を機に日本が北洋漁業を拡大したため缶詰用オリーブ・オイルの需要が増えため、1905年から神戸市農会諏訪山に残っていた300本を管理したが、神戸市街の拡大に伴い1908年にオリーブ園事業は完全に中止された。神戸市内の湊川神社にあるオリーブは、神戸オリーブ園由来の古木である。続いて政府がオリーブ栽培地として目を付けたのが小豆島で、神戸で園長を務めた福羽逸人が搾油の指導に当たった[11]。神戸でのオリーブ栽培はその後に途絶えたが、現在は神戸市となっている押部谷町で2018年に「神戸オリーブ園復活プロジェクト」が始まり、オリーブ油が生産されている[12]

小豆島での栽培は1910年頃に初めて成功した。現在は香川県を含む四国全域、岡山県広島県兵庫県九州関東地方中部地方東北地方など全国各地で栽培されている。宮城県石巻市東日本大震災からの復興の一環として、「北限のオリーブ」栽培に取り組んでいる[13]。2015年からはさらに北方の北海道豊浦町でも栽培が行われている[14]

日本で新たな品種も育成されており、香川県が開発した「香オリ3号」「香オリ5号」が日本発で初めて品種登録に至った[15]

なお、果実から種を取り出すための専用器具も販売されている。

程度差はあるが自家不和合性が有るため同一品種の花粉では結実し難い[16]

耐用年数について[編集]

日本の平成20年度税制改正において、法人税等の「減価償却資産の耐用年数等に関する省令」が改正され、別表第四「生物の耐用年数表」によれば平成20年4月1日以後開始する事業年度にかかるオリーブ樹の法定耐用年数は25年となった。

ギャラリー[編集]

象徴としてのオリーブ[編集]

  • オリーブはヘラクレスによって極北にある理想郷ヒュペルボレイオスの国からオリンピアに持ち込まれたという伝説がある[17]
  • 古代ギリシャでは、子ども達が羊毛、果実、菓子、油壷などをオリーブの小枝に吊り下げたもの(エイレシオネ)をかついで家々を回りプレゼントを集めて回る習慣があった[17]。このエイレシオネは戸口に飾られたが、富や豊穣を呼び込むという意味があった[17]
  • 古代オリンピックでは優勝者にオリーブの葉冠(オリーブ冠)が授与された[17]。古代には四大競技祭など特定の競技会で優勝者に月桂樹セロリなどで作られた葉冠が授与され「神聖競技会」として特別視されており、賞金や高価な品物が授与される賞金競技会とは区別されていた[17]。なお、月桂冠が授与されていたのは古代の四大競技祭のうちデルフォイで行われるピュティア競技祭であり、古代オリンピックで授与されていたのはオリーブの葉冠である[17]。オリーブの木の幹で作られた葉冠には月桂樹の小枝を飾りに付けたものもある[17]
  • オリーブの樹は「太陽の樹」とも呼ばれる。オリーブの樹や枝は「太陽の象徴」(または「金星の象徴」)である。
  • 古代エジプトでは、女神イシスがオリーブの栽培と利用を教えたとされる。ラムセス3世太陽神ラーに神殿の灯油のためのオリーブ畑を捧げたとされる。
  • ホメーロスはオリーブ・オイルを「液体の黄金」と謳った。オリーブ・オイルは古代地中海貿易の主要商品の一つであった。オリーブは「豊穣・富の象徴」とされる。
  • 多くの詩人や科学者、芸術家、歴史学者がオリーブの木を称え、この果実に西洋世界の真の象徴という地位を与えてきた[18]
  • オリーブはフクロウとともに、女神アテーナーに付随するシンボルである。アテナイの発行した4ドラクマ銀貨は、表に女神アテーナー、裏にフクロウとオリーブの枝と三日月が刻印されていた。
  • オリーブは「生命の木」の一つとされる。生命の木は神話上の概念であるが、そこに具体的な植物を当てはめようとしたとき、ナツメヤシイチジクボダイジュ、オリーブ、オークトネリコキスカヌや、クリスマスツリーにも使われるスギモミトウヒマツなどの生命力溢れる常緑樹(evergreen tree)が、生命の木の候補とされる。タケなど生長が早い植物も、生命の樹といえる。
  • オリーブの木の下で生まれることは、神聖な血統の証だった。神の血を引くアルテミスとアポロンも、ロムルスとレムスも、オリーブの木の下で生まれている[18]
  • ギリシア神話では、女神アテーナーは海神ポセイドーンアッティカの領有権を争い、どちらが市民に役立つ贈り物をするかを競い、ポセイドーンは塩水の湧き出る泉もしくは戦に役立つ馬を、アテーナーは食用となる実とオリーブオイルの採れるオリーブの樹(の森)を贈り、アテーナーはアッティカの守護女神に選ばれ、アッティカの中心となるポリスは「アテナイ」と呼ばれるようになった。
  • ユダヤ教キリスト教イスラム教では、オリーブオイルは戴冠式聖別などの宗教儀礼での「聖油」としても用いられる。
  • オリーブの枝は、とともに「平和の象徴」となっている。これは『旧約聖書ノアの箱舟のくだりで「が起こした大洪水のあと、陸地を探すためにノアの放った鳩が、オリーブの枝をくわえて帰ってきた。これを見たノアは、水が引き始めたことを知った」との一節(『創世記』8章8-12節)に基づいている。斜に構えた見方をすれば、オリーブや鳩の象徴する「平和」とは、「(神罰・世界の終末による)大災厄により、ほとんどの(悪しき)人間が滅びた後の、「新世界」における平和」ともいえる。
  • 旧約聖書やギリシヤ神話の故事から、オリーブの花言葉は「平和」「安らぎ」「知恵」「勝利」である。
  • 聖書は、イエス・キリストは普段からオリーブ山のふもとのゲッセマネ(「オリーブの油搾り」)の園で祈ることを好み[19]最後の晩餐の後もゲッセマネの園で最後の祈り(ゲツセマネの祈り)を捧げた[20]、と伝えている。
  • ヨハネの黙示録11:4に、オリーブの木が登場する。「彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリーブの木、また、二つの燭台である。」この2本のオリーブの木は太陽と金星を象徴している。
  • オリーブの枝は、ベネディクト会のシンボルであり、同会は「オリーブ会」とも呼ばれる。
  • オリーブの枝は、国際連合の旗(これをアカシアの葉とする説もある)や、いくつかの国の国旗国章にも使われている。
  • オリーブは、ギリシャ(国樹)、イスラエル(国樹)、ポルトガル(国花)の、国樹・国花である。
  • イタリア政党連合にも「オリーブの木」というのがあった。
  • 米ドル紙幣に描かれたハクトウワシの右脚には「オリーブの枝」、左脚には「」が握られている。
  • 日本では、香川県の県の木、県の花に指定されている。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 橄欖(カンラン)は別の植物のことを指し、オリーブに当てる用法は本来では誤りである。
  2. ^ スペイン語: óleoもラテン語oleumに由来するが、この語は通常油絵の油を指し、油一般を意味する語はaceite(アラビア語由来)である。

出典[編集]

  1. ^ 松村明編 「オリーブ」『大辞林 4.0』 三省堂、2019年。
  2. ^ ビル・ローズ著 柴田譲治訳『図説:世界史を変えた50の植物』(原書房、2012年)pp.140-143
  3. ^ Palmer, L. R. (1987) [1954]. The Latin Language. University of Oklahoma Press. pp. 50,215,220. ISBN 080612136X 
  4. ^ さぬきオリジナル オリーブハマチ(2018年9月27日閲覧)。
  5. ^ 「オリーブ地鶏」食べて/香川、「牛」「豚」に続き販売開始 産経WEST(2018年4月23日)2018年9月27日閲覧。
  6. ^ a b c 中山玲, 川添航, 鈴木修斗, 薄井晴, 坂本優紀, 王倚竹, 付凱林, 劉逸飛, 綾田泰之, 杉谷大樹, 松井圭介「小豆島におけるオリーブ産業の存続要因」『筑波大学人文地理学研究』第41巻、筑波大学地球科学系、2023年、11-26頁、CRID 1050577386786913408hdl:2241/0002006899 
  7. ^ 香川県農業試験場小豆オリーブ研究所: オリーブの栽培条件と管理, https://www.pref.kagawa.lg.jp/noshishozu/noshi_olive/saibai.html 2023年9月12日閲覧。 
  8. ^ 市川俊英, 岡本秀俊, 内海与三郎, 川西良雄, 壺井洋一「オリーブアナアキゾウムシ成虫の越冬場所」『日本応用動物昆虫学会誌』第35巻第3号、日本応用動物昆虫学会、1991年、181-187頁、CRID 1390001206448618496doi:10.1303/jjaez.35.181ISSN 0021-4914 
  9. ^ UNESCO - Traditional knowledge, methods and practices concerning olive cultivation” (英語). ich.unesco.org. 2023年12月8日閲覧。
  10. ^ エミリー・オルセン「すべてのオッズに対して:カナダからの最初のオリーブオイル」Olive Oil Times(2017年6月16日)2020年2月8日閲覧
  11. ^ 中西テツ(神戸大学名誉教授)「オリーブ園 神戸で再び芽◇140年前に国営で開園も20年で閉園 国内初の油生産にも貢献◇」『日本経済新聞』朝刊2020年2月3日(文化面)2020年2月8日閲覧
  12. ^ 「神戸オリーブ 復活の芽吹き/国内最古の産地 3年前に栽培朝鮮/初出品オイル 国際コンテストで銀賞」『日本農業新聞』2021年7月7日12面
  13. ^ “北限のオリーブ栽培実験の取組創設”. 石巻市. (2016年5月20日). http://m-nkaigi.sub.jp/wadai/20160520/20160520_ishinomaki.pdf/ 
  14. ^ 北海道に「北限のオリーブ」出現、商業生産へ始動『日本経済新聞』電子版2020年2月5日(2020年2月8日閲覧)
  15. ^ 「香川県開発のオリーブ、日本初の品種登録」日本経済新聞ニュースサイト(2021年3月22日配信)2021年4月8日閲覧
  16. ^ 大場和彦、下高敏彰、泉哲也、中道隆広「長崎県におけるオリーブ栽培適地性の農業気象学的解析 」『長崎総合科学大学紀要』2012, No.52
  17. ^ a b c d e f g 真田久, 宮下憲, 嵯峨寿「アテネオリンピック 2004の文化的側面 (<特集 アテネオリンピック・パラリンピック>)」『体育科学系紀要』第28巻、筑波大学体育科学系、2005年3月、129-139頁、CRID 1050282677523573504 hdl:2241/11385ISSN 038671292022年9月13日閲覧 
  18. ^ a b 『オリーブの歴史』株式会社原書房、2016年4月27日、8頁。 
  19. ^ ルカによる福音書』 22:40
  20. ^ 『ルカによる福音書』22:43~44

関連項目[編集]

外部リンク[編集]