エステバン・ヘルマン

エステバン・ヘルマン
Esteban Germán
西武時代(2013年7月31日、こまちスタジアム
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サン・クリストバル州ハイナ
生年月日 (1978-01-26) 1978年1月26日(46歳)
身長
体重
175 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手外野手二塁手
プロ入り 1996年 アマチュアFA
初出場 MLB / 2002年5月21日
NPB / 2012年3月30日
最終出場 NPB / 2015年9月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
AAA級オクラホマ・レッドホークス時代(2005年)

エステバン・ヘルマン・グリーディEsteban Germán Guridi, 1978年1月26日 - )は元プロ野球選手内野手外野手)。ドミニカ共和国サン・クリストバル州出身。現在はドミニカ共和国野球連盟の理事を務める。

姓は英語読みの場合ハーマンまたはジャーマンと表記される場合があり、ヘルマンはスペイン語の発音に近い表記となる。

経歴[編集]

アスレチックス時代[編集]

1996年7月4日、アマチュア・フリーエージェントでオークランド・アスレチックスと契約が成立。1998年、ルーキー級で55試合・打率.307・出塁率.404・40盗塁の好成績を挙げ、アリゾナリーグのオールスターに選出された。2000年、A+とAAにステップアップし合計で133試合・出塁率.357・83盗塁を記録した。

2002年5月21日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー。

2004年、メジャーでは自己最多の31試合に出場した。10月15日にFAとなった。

レンジャーズ時代[編集]

2004年12月1日にテキサス・レンジャーズと契約。

2005年、レンジャーズ傘下のAAA級オクラホマシティ・レッドホークスでは117試合の出場で打率.313・5本塁打OPS.823、43盗塁を記録したが、メジャーでは5試合の出場に留まった。

ロイヤルズ時代[編集]

2005年12月8日にファビオ・カストロとのトレードカンザスシティ・ロイヤルズに移籍。

2006年は開幕メジャー入りし、106試合の出場で打率.326・3本塁打・OPS.880・7盗塁の好成績を残した。守備では右翼手捕手投手を除く全ポジションで起用された。

2007年は打率.264・4本塁打・OPS.727・11盗塁と前年より数字を落としたものの、自己最多の121試合に出場。前年に引き続きメジャーで定位置を確保した。

2008年は89試合の出場で打率.254・本塁打なし、OPS.640に終わり、2009年3月9日、ロイヤルズから解雇された。

レンジャーズ復帰[編集]

2009年3月13日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだが、4月4日に解雇され、4月8日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ。レンジャーズ傘下のAAA級オクラホマシティ・レッドホークスでは105試合の出場で打率.319・4本塁打・OPS.833・35盗塁を記録したが、メジャーでは19試合の出場に終わった。

2010年、オクラホマシティで126試合に出場し打率.280・5本塁打・OPS.759・50盗塁の成績を残したが、メジャーでは13試合の出場に終わった。11月5日にFAとなるが、19日にレンジャーズと再びマイナー契約を結んだ。

2011年、レンジャーズ傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスでは123試合の出場で打率.301・7本塁打・OPS.799・44盗塁の成績を残した。シーズン終盤にはメジャーに昇格し11試合に出場、さらにはワールドシリーズ出場も果たした。オフにはドミニカ共和国ウィンターリーグに参加。11月2日にFAとなった。12月14日、埼玉西武ライオンズへの入団が発表された[1]

西武時代[編集]

2012年5月28日、阪神甲子園球場にて

2012年、当初は1番打者として期待され、開幕からしばらく1番で起用されていたが、程なくして6番や7番での起用が主になった。5月からは5番で、中村剛也中島裕之が故障で離脱している時期は3番で起用されることもあった。ポジションは当初二塁手中堅手で起用されていたが、他の選手との兼ね合いもありシーズン中盤以降は三塁手に固定された。

このように打順や守備位置は二転三転したが、最終的にはチーム唯一の144試合フル出場を果たして打率.270の数字を残し、俊足を生かしてリーグ2位の41盗塁を記録した。外国人選手がシーズン40盗塁以上を記録したのは1956年に55盗塁したロベルト・バルボン以来56年ぶりであった[2]。本塁打は3本であったが60打点、リーグ3位の勝利打点13であった。その一方で併殺打や盗塁死・牽制死の多さも目立ち、リーグワーストの20併殺打を喫した。

球団はヘルマンの俊足と勝負強さを買ってかねてから残留させる意向を示しており、12月3日に新たに1年契約を結んで残留が決まった[3]

2013年は序盤「5番・三塁手」として起用された。5月以降は打線の再編がしばしば行われるようになり、6月末以降は1番で起用された。打撃面では前年の勝負強さ(リーグ4位の得点圏打率.345)と選球眼(リーグ3位のBB/K 0.98)に加え打率もリーグ3位の.319と、シーズン終盤まで首位打者争いに加わり、最終的には最高出塁率のタイトルを獲得している[注 1]。走塁面では2年連続となる40盗塁をクリア。前年に引き続き全試合出場を果たし、リードオフマンとしてチームを牽引した。球団側は契約延長を申し出ていたがヘルマンはこれを断り[4]、12月2日発表の保留選手名簿から外れる形で自由契約公示となった。

オリックス時代[編集]

2013年12月6日にオリックス・バファローズが獲得を発表した[5]

2014年、開幕は1番打者としてスタートし交流戦付近では3番、シーズン終盤は6番と打順を転々とした。チーム2位の30盗塁をマークし、チームの機動力向上に貢献。キャリアハイとなる7本塁打をマークしたが、打率.250と来日以来ワーストになるなど打撃は苦しんだ。

2015年、オープン戦は打率.324と好調だったが、内野では新加入した小谷野栄一中島裕之がシーズン開幕からスタメンで起用されることが多かったため、ベンチからのスタートが多くなった。さらに、4月8日の試合で走塁中に右大腿裏肉離れを起こし、翌日に登録抹消された[6]。5月中旬に復帰後も打撃不振が続いたため、6月下旬に再度抹消された。7月上旬に再登録されると打撃に復調の兆しが見えたものの、ベンチからのスタートが多い状況は変わらなかった。9月23日の試合で守備の際に右内転筋を痛め、翌日に登録抹消されるとそのままシーズンを終え、今シーズンは出場機会が激減したうえ、凡庸な成績に終わった。10月5日に球団からウェイバー公示申請の手続きを行ったと発表があり[7]、9日にNPBから自由契約選手として公示[8]され、オリックスを退団した。

オリックス退団後[編集]

オリックス退団後は、母国ドミニカ共和国に戻り、ドミニカウィンターリーグであるリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナトロス・デル・エステ英語版で一試合のみプレーし、現役を引退した。チームからはウィンターリーグで5度の盗塁王を獲得するなどした栄誉を称えられ、背番号1を永久欠番にすることが発表された[9]

現在は、ドミニカ共和国野球連盟の理事を務めている。

選手としての特徴[編集]

全力プレーをモットーとしている[10]。怪我が少なく、西武時代は中村剛也片岡易之栗山巧ら主力が怪我に苦しむ中でも2012年、2013年と2年連続で全試合出場を達成し、チームを支えた。

打撃[編集]

得点圏にランナーを置いた場面(特に満塁時)で抜群の勝負強さを発揮するクラッチヒッター[11]。長打力には欠けるがコンパクトなスイングで変化球への対応がうまく、少々内側のボールでも逆方向に鋭いゴロを弾き返すことができる[12][13]。メジャー通算で10打数に1つの割合で四球を選ぶなど選球眼に優れ、犠打もうまい[12]

守備[編集]

バッテリーを除く内野全ポジションと左翼手、中堅手で起用されたことがあるユーティリティープレイヤー[14]遊撃手としては肩が弱い[12]ため、アメリカでは主に二塁手として起用された。二塁守備は守備範囲の広さとダブルプレー時のフットワーク共に平均レベル[13]だが、全ポジションでメジャー通算のUZRDRS共に平均を大きく下回る[15]。日本では当初は二塁手あるいは中堅手としても起用されていたが、2012年半ばから三塁手に固定された。2013年は守備についた全ての試合で三塁手として出場している[16]。三塁守備はライン寄りの打球反応に優れる[16]

走塁[編集]

盗塁の企図数が多く、マイナー通算11年で459盗塁を記録している俊足の持ち主[17]。2000年にはマイナーでシーズン83盗塁を記録。また、2012年にはメジャー通算を上回る41盗塁を記録し、東北楽天ゴールデンイーグルス聖澤諒に次ぐパ・リーグ2位の成績を残している[18]。盗塁の際、日本では通常は足からスライディングするのが一般的だが、ヘルマンの場合は中南米出身の選手らしく頭からスライディングすることが多い。ヘルマン自身は「僕のスライディングは99%がヘッドスライディング。野球を始めた時からやっているからね」と話している[19]。アスレチックス時代にはリッキー・ヘンダーソンから直々に指導を受けたこともあり、当時はリトルリッキーと呼ばれていた[20]

人物・エピソード[編集]

勤勉な性格で、通常外国人選手は免除されることが多い試合前ミーティングにも毎回参加し、相手投手をビデオで研究している[21]

仲間思いな一面もあり、2012年9月2日の対千葉ロッテマリーンズ戦では怪我で戦線離脱している栗山巧のリストバンドを着けて試合に臨んだ。試合後のヒーローインタビューでは「彼(栗山)の思いを一緒に持ちながらプレーしています」と栗山を勇気づけるコメントを残した[22]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2002 OAK 9 40 35 4 7 0 0 0 7 0 1 0 0 0 4 0 1 11 0 .200 .300 .200 .500
2003 5 4 4 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 1 1 .250 .250 .250 .500
2004 31 65 60 9 15 1 1 0 18 7 0 1 1 0 4 0 0 13 1 .250 .297 .300 .597
2005 TEX 5 4 4 3 3 1 0 0 4 1 2 0 0 0 0 0 0 1 0 .750 .750 1.000 1.750
2006 KC 106 331 279 44 91 18 5 3 128 34 7 3 6 0 40 0 6 49 8 .326 .422 .459 .881
2007 121 405 348 49 92 15 6 4 131 37 11 7 6 3 43 0 5 60 11 .264 .351 .376 .727
2008 89 242 216 30 53 14 3 0 73 22 7 3 4 3 18 1 1 42 5 .245 .303 .338 .641
2009 TEX 19 50 46 9 14 4 0 0 18 4 1 0 0 0 4 0 0 7 0 .304 .360 .391 .751
2010 13 16 13 5 3 0 0 0 3 1 4 1 0 0 3 0 0 2 0 .231 .375 .231 .606
2011 11 13 11 6 5 1 0 1 9 4 1 0 0 1 1 0 0 1 0 .455 .462 .818 1.280
2012 西武 144 583 507 55 137 20 4 3 174 60 41 13 10 5 57 1 4 75 20 .270 .346 .343 .689
2013 144 623 518 74 165 22 3 4 205 55 40 20 8 5 85 0 7 87 20 .319 .418 .396 .814
2014 オリックス 141 595 532 62 133 28 1 7 184 52 30 16 2 3 54 1 4 95 17 .250 .322 .346 .668
2015 73 245 221 31 59 8 1 1 72 15 17 2 0 0 24 0 0 40 7 .267 .339 .326 .665
MLB:10年 409 1170 1016 159 284 54 15 8 392 111 34 15 17 7 117 1 13 187 26 .280 .359 .386 .745
NPB:4年 502 2046 1778 222 494 78 9 15 635 182 128 51 20 13 220 2 15 297 64 .278 .360 .357 .717
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]



三塁 二塁 外野




































2012 西武 104 76 132 13 7 .941 10 15 17 0 2 1.000 28 51 0 1 0 .981
2013 118 77 137 8 13 .964 - -
2014 オリックス 141 61 171 9 19 .963 - -
2015 39 28 44 4 3 .947 11 11 24 1 2 .972 -
NPB 402 242 484 34 42 .955 21 26 41 1 4 .985 28 51 0 1 0 .981

タイトル[編集]

NPB

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 40 (2002年 - 2003年)
  • 12 (2004年)
  • 4 (2005年、2014年 - 2015年)
  • 3 (2006年 - 2008年)
  • 6 (2009年 - 2013年)

登場曲[編集]

  • Salsa caliente del Japon - Orquesta De La Luz

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2022年現在パ・リーグ最後の右打者による獲得。

出典[編集]

  1. ^ “新外国人選手獲得のお知らせ”. 埼玉西武ライオンズ・オフィシャルサイト. (2011年12月14日). http://www.seibulions.jp/news/detail/5610.html 2011年12月16日閲覧。 
  2. ^ “バルボン以来助っ人56年ぶり ヘルマン41盗塁”. スポーツニッポン. (2012年9月18日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/18/kiji/K20120918004138420.html 2012年11月5日閲覧。 
  3. ^ “来季の外国人選手契約について”. 埼玉西武ライオンズ・オフィシャルサイト. (2012年12月3日). http://www.seibulions.jp/news/detail/7086.html 2013年7月30日閲覧。 
  4. ^ 【西武】ヘルマン、サファテ退団へ
  5. ^ ヘルマン選手 獲得のお知らせ”. オリックス・バファローズ (2013年12月6日). 2014年1月9日閲覧。
  6. ^ オリックス・ヘルマンが登録抹消 肉離れで全治4週間 - 朝日新聞デジタル
  7. ^ ヘルマン選手 ウエイバー公示申請のお知らせ”. オリックス・バファローズ (2015年10月5日). 2015年10月13日閲覧。
  8. ^ 2015年度 自由契約選手”. 日本野球機構 (2015年10月9日). 2015年10月13日閲覧。
  9. ^ 元西武、オリ・ヘルマンの背番号「1」が永久欠番に ドミニカWL古巣が発表」『Full-Count』、2018年10月24日。2023年5月9日閲覧。
  10. ^ “勝ち越し打の西武・ヘルマン「全力でプレーするのが僕のスタイル」”. スポーツナビ. (2012年6月23日). https://archive.is/20121129111851/http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:fwTojTtK9N8J:sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/headlines/20120623-00000011-spnavi-base.html+&cd=4&hl=ja&ct=clnk&gl=jp 2012年11月9日閲覧。 
  11. ^ 2012年度ヘルマン【西武】打撃成績詳細”. データで楽しむプロ野球. 2012年11月6日閲覧。※『状況別成績マトリクス表』を参照。
  12. ^ a b c 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、179頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  13. ^ a b 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、185頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2 
  14. ^ Esteban German Fielding” (英語). FanGraphs Baseball. 2012年11月5日閲覧。
  15. ^ Esteban German Advanced Fielding” (英語). FanGraphs Baseball. 2012年11月5日閲覧。
  16. ^ a b 小関順二『プロ野球スカウティングレポート2014』廣済堂出版、2014年、186頁頁。ISBN 978-4-331-51810-6 
  17. ^ Esteban German Minor League Statistics & History” (英語). Baseball-Reference.com. 2012年11月6日閲覧。
  18. ^ 2012年度 パシフィック・リーグ リーダーズ(打撃部門) | NPB.jp 日本野球機構”. 日本野球機構. 2021年8月31日閲覧。
  19. ^ “ヘルマン 1番で2安打!ヘッドスライディングで盗塁成功”. スポーツニッポン. (2012年3月16日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/03/16/kiji/K20120316002837680.html 2012年11月5日閲覧。 
  20. ^ “ヘルマン快足披露!目指すリッキー・ヘンダーソン”. スポーツニッポン. (2012年2月8日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/02/08/kiji/K20120208002589650.html 2012年11月5日閲覧。 
  21. ^ “西武1イニング9点!六回打者13人大逆転(2/2ページ)”. サンケイスポーツ. (2012年7月1日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20120701/lio12070105040001-n2.html 2012年11月6日閲覧。 
  22. ^ 栗山のリストバンドを付け、猛打賞 ヘルマンのヒーロー”. パ・リーグ チャンネル. 2012年11月5日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]