エスキモー

エスキモー
Eskimo
居住地域
カナダの旗 カナダ 北部一帯
ヌナブト準州
ヌナビク
ヌナツィアブト
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アラスカ州
グリーンランドの旗 グリーンランド
ロシアの旗 ロシア シベリア北東部
言語
エスキモー・アレウト語族
宗教
キリスト教
シャーマニズム
アニミズム

イヌイットの家族
(1917年の雑誌"National Geographic Magazine"より)
イグルー内部

エスキモー英語: Eskimo)は、北極圏シベリア極東部・アラスカカナダ北部・グリーンランドに至るまでのツンドラ地帯に住む先住民族グループである。

彼らは元々狩猟採集生活者の暮らしを送っており、だけを食べていたが、白人との交易が始まって小麦粉砂糖を食べるようになってから、肥満糖尿病を患うようになった[1]

カナダ政府とアメリカ合衆国政府により「保護するべき集団」と見なされ、パターナリスティックな扱いを受けている[2]

民族[編集]

エスキモーとは単一の民族ではなく、大きくはアラスカ北部以東に住むイヌイット (Inuit) 系民族(東部集団)とアラスカ中部以西のユピク (Yupik) 系民族(西部集団)に分けられる。なおグリーンランドに住むのは学術的にはイヌイットであるが、現地ではカラーリットと呼ばれている。

総人口約9万人のうちグリーンランド住民が最も多く、4万1000人。アラスカ3万2000人。カナダ1万2000人。シベリア1200人を数える。

生活と文化[編集]

雪原の照り返しから眼を保護するための遮光器

で造ったイグルー等に居住し、魚や海獣を捕って生計をたて、カヤックイヌぞりによる移動生活を送る、というのが一般的なエスキモーの生活とされており、現在でも定住せずに移動生活をする者もいる。イグルーは移動するときに使うもので、定住のための住居ではない。

しかし近年では、定住して都市部に住む者が増えてきており、エスキモーの移動生活は過去の物となりつつある。

食生活[編集]

伝統的なエスキモーでは、食生活は狩猟によって得た生肉が中心であった。獲物は漁を中心とするエスキモーはアザラシクジラ等、また陸での猟をするエスキモーはカリブートナカイ)である。生肉の他には、ツンドラの原野に自生するコケモモの実を食することもある。気候の性質上、穀物は食べず、カリブー、クジラ、アザラシの肉だけを食べていた。

エスキモーたちと一緒に暮らした経験を持つ探検家、ヴィルヒャムル・ステファンソンは、食事療法、とりわけ、炭水化物が少ない食事療法に大いに関心を抱いていた。1906年から1907年にかけて彼らと暮らしたステファンソンは、食事について、「全体の90%が肉と魚で構成されている」と記録している。彼らの食事は「Zero Carb」「No Carb」(「炭水化物をほとんど含まない食事」)と見なされるかもしれない(彼らが食べていた魚にはわずかな量のグリコーゲン(Glycogen)が含まれてはいたが、炭水化物の摂取量は全体的にごく僅かであった)。ステファンソンの仲間の探検家たちも、この食事法で完全に健康体であった。エスキモーたちとの暮らしから数年後、ステファンソンは、アメリカ自然史博物館からの要請で、同僚のカーステン・アンダーソン(Karsten Anderson)とともに再び北極を訪れた。2人のもとには「文明化された」食料が1年分補給される予定であったが、2人はこれをやんわりと断った。当初の計画は1年間であったものが、最終的には4年間に延長された。北極圏にいた2人がその4年間で食べていたものは、捕えて殺して得られた動物の肉と魚だけであった。4年に亘る肉食生活を送る過程で、2人の身体には異常も悪影響も見られなかった。ウィリアム・バンティング(William Banting)と同じく、炭水化物のみを制限し、身体が本当に必要としている食べ物を食べ続けた場合、身体は完全に機能し、壮健さと細身を維持できることが明らかとなった。「カロリー」については一切無視された[3][4]

肉だけを食べる食事法が続行可能かどうかについての見解をステファンソンが報告した際には多くの懐疑論が出たが、のちに行われた研究と分析で、それは可能であることが裏付けられた[5]。複数の研究結果により、イヌイットたちの食事法は「ケトン食療法」であることが示された。彼らは主に魚や肉を煮込んで食べており、時には魚を生で食べることもあった[6][7][8]

1928年、ステファンソンとアンダーソンの2人はニューヨークにあるベルヴュー病院(Bellevue Hospital)に入院し、完全肉食生活が体に及ぼす影響についての実験台となった。実験の期間は1年間であり、コーネル大学のウジェーヌ・フロイド・デュボア(Eugene Floyd DuBois)が実験を指揮した。ステファンソンとアンダーソンの2人は、注意深く観察された実験室という設定で、最初の数週間、肉だけを食べ続けても問題無いことを証明する研究の着手に同意し、「食事における決まり事」を確かなものにするために観察者が付いた。スコット・カトリップ(Scott Cutlip)による著書『The Unseen Power: Public Relations』によれば、ペンドルトン・ダッドリー(Pendleton Dudley)がアメリカ食肉協会(American Meat Institute)に対して、この研究に資金を提供してもらえないか、と説得したという[9]。この間にアンダーソンには糖尿病の症状が発現した。糖尿病における病理とは異なり、この研究の過程でアンダーソンの身体に見られた糖尿病の病状の期間は4日間であった。耐性を調べるためにブドウ糖100gを投与させたことと、肺炎の発症はいずれも同時期であった。この時のアンダーソンは、水分と炭水化物が多い食事を取っており、これを排除すると、糖尿病の症状は消滅した[10]。ステファンソンは、研究者から「脂肪が少ない赤身肉だけを食べる」よう依頼された。ステファンソンには脂肪がほとんど無い肉を食べ続けると2-3週間後に健康を損なった経験があり、「脂肪がほとんど無い肉」は「消化不良」を引き起こす可能性がある、と指摘した。この肉を食べ続けて3日目、ステファンソンは吐き気と下痢に見舞われ、そのあとに便秘が10日間続いた[11]。早い段階で体調不良に陥ったのは、自身が以前に食べていたカリブー(トナカイ)の肉と比べて脂肪が少ない肉を食べ続けたのが原因である、とステファンソンは考えた[12]。脂肪が多い肉を食べるようにすると、2日以内に身体は完全に回復した。最初の2日間、ステファンソンが取っていた食事は、脂肪の摂取量が三分の一に減っていた点を除けば、エスキモーが取っていた食事に近いものであった。タンパク質の摂取カロリーは全体の45%を占めており、3日目には腸に異常が見え始めた。次の2日間でステファンソンはタンパク質の摂取量を減らし、脂肪の摂取量を増やした。摂取カロリーの約20%をタンパク質で、残りの80%を脂肪で占めるようにした。この2日間での高脂肪食でステファンソンの腸の状態は投薬無しで正常に戻った。その後、ステファンソンはタンパク質の1日の摂取カロリーが25%を超えないようにした[11]。2人の身体は健康を保ち、腸も正常なままであった。彼らの便は小さく、匂いも無かった。ステファンソンには歯肉炎があり、歯石の沈着が増加するも、実験が終わるまでには消えていた。実験中のステファンソンの摂取カロリーは2000~3100kcalで、そのうちの20%はタンパク質であり、残りの80%は動物性脂肪から得ていた[3]。栄養素の1日の摂取量については、タンパク質は100-140g、脂肪は200-300gで、炭水化物については7-12gであった[11]1929年に発表された論文では、この時の臨床研究について詳述されている[13]。ステファンソンによれば、エスキモーたちは赤身肉(タンパク質)の摂取を制限し、余分な赤身肉は犬に与えて食べさせ、脂肪を確保して食べたという[14]

のちにアメリカの食文化が流入し、彼らが元々取っていた食事法は失われつつある。太陽光線の弱い北極圏では、北欧に住むコーカソイドのように肌のメラニン色素が薄い人種は太陽光線を多く皮下に取り込み、ビタミンDを体内で作り出していた。しかしながら、モンゴロイドであるエスキモーは色素が濃く太陽光線の皮下取り込み量が不足しがちになるため、捕えて殺して手に入れた動物の生肉と内臓を食べる必要があった。西洋との交易で小麦粉と砂糖を食べ始めるようになった途端、肥満や糖尿病を患うエスキモーが急増した[1]

グリーンランドに住むエスキモーには海鳥の発酵物キビヤックを食する習慣がある。乳酸菌による発酵で、微量のビタミンCが生成される。

1960年代以降、「動物性脂肪を豊富に含む動物性食品は、健康に悪影響を及ぼす可能性がある」と言われるようになると、栄養学者たちは、「動物の肉には、生命維持に欠かせない全ての必須アミノ酸、全ての必須脂肪酸、13種類ある必須ビタミンのうちの12種類がたくさん含まれている」という栄養学上の事実の指摘を控えるようになった[1]ビタミンDビタミンB12の両方を含む食べ物は「動物性食品だけ」である[1][15]。動物の肝臓は脂肪であり、ビタミンAを筆頭にビタミンとミネラルを豊富に含む。ビタミンAは脂溶性ビタミンの一種であり、動物性脂肪を初めとした食べ物に含まれる脂肪分を摂取することで、ビタミンが身体に吸収されるのを助ける。

伝統的な生活を営む者もいるが、地球温暖化が進んだ現在では、氷上を移動すると氷が割れる恐れがあるため、猟師たちはアザラシシロイルカから、内陸部に生息するカリブーに狙いを変えるようになった。こうして、現在のエスキモー社会は海岸から離れて暮らすようになっている[16]

姥捨ての習慣[編集]

また、かつては入手が不安定で極めて限られた食料による極限的生活を送っていたことから、生産労働に従事できない老人病人は遺棄することが一般に行われていた。エスキモーは厳しい気候の寒冷地に居住しており、過去においては常に食糧不足の状態にあった。そのため少ない食料を生産再生人口にのみ振り分け、高齢者を棄てる習慣があった。ただしこれは強制されるものではなく高齢者はある年齢になると自らの意思で家族を離れて死への旅路に就いた[17]親孝行を最大の道徳とみなす東洋的な儒教文化から見れば最大限の悪行のように受け止められる習慣も、その厳しい生活環境ではやむを得ない選択であった。現在は人権上及び道義上の問題から姥捨ての習慣は禁じられており、行われていない。

客へのもてなしとしての妻の提供[編集]

エスキモーは客人へのもてなしとして自分の妻を提供する習慣があった。提供された男が次に客をもてなす側になったときには、互酬性の原則によって、自分の妻を相手方に提供することを求められた。客は提供された妻の容姿や年齢にかかわらず、受け入れることが求められた[18]。客が自身にあてがわれた人妻との性行為を拒絶することは男性間の絶交の意思表示もしくは女性への侮辱とみなされた。また当然、提供された妻と客の男性間に一夜妻ではおさまらず恋愛感情が芽生え、場合によっては駆け落ちに至る場合もありうる。この場合、男同士の究極的な敵対関係に発展することを回避するために、客の男は元夫に慰謝料を支払い、名目上その男と義兄弟の契約(穴兄弟の契り[19]を結ぶことで平和裏に愛憎問題を解決するモーレスが定められていた[20]。この習慣は外国人には非常に奇異なものに映り、しばしば小説の題材に取り上げられた[21][22]。現在、彼らの多くはキリスト教徒であり、福音の教えに反するので、このような習慣はなくなった。

言語[編集]

エスキモー・アレウト語族に属する以下の言語を話す。

人種・遺伝子[編集]

エスキモーは主にモンゴロイドであるがANE系統(コーカソイド)から遺伝的浮動を受けている。これは他の多くのアメリカ先住民と同様であるが割合が異なる。他のアメリカ先住民と比べエスキモーはモンゴロイドの遺伝子が多い。エスキモーに高頻度にみられる遺伝子はハプログループQ (Y染色体)であり[23]、これはアメリカ先住民で広く高頻度な系統である。

捕鯨への圧力[編集]

エスキモーには国際捕鯨委員会 (IWC) から先住民生存捕鯨の枠が認められている。シベリアのエスキモーの住む地域では食料事情が悪く捕鯨は必要不可欠である。しかし先進国からは伝統的な方法での捕獲を求められており、環境保護団体から捕鯨そのものへの批判がある。

呼称[編集]

一般に「エスキモー」または「イヌイット」という呼称がよく用いられる。だが、これらの呼称は、現地語の本来の意味とは全く異なった解釈から差別用語若しくは置換え語として使われる場合があり、語源俗解の例に挙げられている。各呼称の問題点は、後述の通りである。

「エスキモー」呼称の問題[編集]

「エスキモー」という言葉は、アラスカエスキモーと居住域が隣接していた亜極北のアルゴンキン系インディアンの言葉で「かんじきの網を編む」という意味である。これが、東カナダに住むクリー族の言葉で「生肉を食べる者」を意味する語と誤って解釈されたことから、「エスキモー」という呼称はある時期においてしばしば侮蔑的に使用された。これには、生肉を食べる行為(肉や魚にはビタミン・ミネラルが豊富に含まれる)を野蛮であるとみなす人々の偏見が背景にある。

ヴィルヒャムル・ステファンソンは北極に住む彼らの元を訪れ、一緒に暮らした経験がある。彼が生きていたころは普通に「エスキモー」と呼ばれており、差別用語でもなんでもなかった。1913年に出版されたステファンソンによる著書の題名は『My Life with the Eskimo』(『エスキモーとの暮らし』)である。

「イヌイット」呼称の問題[編集]

カナダでは1970年代ごろから「エスキモー」を差別用語と位置付け[注 1]、彼ら自身の言葉で「人々」を意味する「イヌイット[注 2]が代わりに使用されている。現在では「イヌイット」という呼称は、本来「人々」を意味する言葉ではなかったとされている。先住民運動の高まりの中で、これまで他者から「エスキモー」と呼ばれてきた集団が自らを指す呼称が必要となり、「イヌイット」という言葉を採用したためである[24]

「イヌイット」は、本来北方民族のうち最大数を占めているカナダのバフィン島グリーンランド方面に住む集団(東部集団)についての呼称である。イヌイット以外の集団への呼称について、正確を期す場合には、アラスカエスキモーは「イヌピアット」(Inupiat)、シベリアセントローレンス島に住む集団は「ユピク」(Yupik) と呼ぶ。このため、北方民族の総称としての「エスキモー」を単純に「イヌイット」に置き換えると、置き換えの結果としての「イヌイット」なのか、原意の「イヌイット」なのか区別できなくなる。

またそれ以前に、シベリアやアラスカのイヌピアット(アラスカエスキモー)やユピクを、別の語族集団の呼称である「イヌイット」の名で呼ぶことは明らかな間違いである[25]。合衆国の団体「Expansionist Party of the United States」は、その公式サイトで、「エスキモー」の呼称について、「アラスカとシベリアで唯一の正しい用語である」としており、「エスキモーはその名をまったく恥じていない。エスキモーでない者たちは、犯罪を意図するわけでもないのなら、いたずらに非英語の婉曲表現で彼らを威嚇すべきではない」としている[26]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ この主張自体は1920年代から既に存在していた。
  2. ^ 彼らの言語に促音は存在しないので「イヌイト」のほうがより正確である。

出典[編集]

  1. ^ a b c d Taubes, Gary (2010). Why We Get Fat. New York City: Alfred A. Knopf. ISBN 978-0-307-27270-6 
  2. ^ Kathleen S. Fine-Dare, Kathleen Sue Fine-Dare 2002 Grave injustice: the American Indian Repatriation Movement and NAGPRA
  3. ^ a b Groves, PhD, Barry (2002年). “WILLIAM BANTING: The Father of the Low-Carbohydrate Diet”. Second Opinions. 2007年12月26日閲覧。
  4. ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Corpulence" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 7 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 192–193.
  5. ^ Fediuk, Karen. 2000 Vitamin C in the Inuit diet: past and present. MA Thesis, School of Dietetics and Human Nutrition, McGill University 5–7; 95. Retrieved on: December 8, 2007.
  6. ^ Peter Heinbecker (1928). “Studies on the Metabolism of Eskimos” (PDF). J. Biol. Chem. 80 (2): 461–475. http://www.jbc.org/content/80/2/461 2014年4月7日閲覧。. 
  7. ^ A.C. Corcoran; M. Rabinowitch (1937). “A Study of the Blood Lipoids and Blood Protein in Canadian Eastern Arctic Eskimos”. Biochem. J. 31 (3): 343–348. doi:10.1042/bj0310343. PMC 1266943. PMID 16746345. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1266943/. 
  8. ^ Kang-Jey Ho; Belma Mikkelson; Lena A. Lewis; Sheldon A. Feldman & C. Bruce Taylor (1972). “Alaskan Arctic Eskimo: responses to a customary high fat diet”. Am J Clin Nutr 25 (8): 737–745. doi:10.1093/ajcn/25.8.737. PMID 5046723. 
  9. ^ Cutlip, Scott (1994). The Unseen Power: Public Relations. London: Routledge. pp. 101. ISBN 0805814655 
  10. ^ Tolstoi, Edward (June 20, 1929). “THE EFFECT OF AN EXCLUSIVE MEAT DIET LASTING ONE YEAR ON THE CARBOHYDRATE TOLERANCE OF TWO NORMAL MEN.”. J. Biol. Chem. (83): 747–752. http://www.jbc.org/content/83/3/747.full.pdf 2015年12月16日閲覧。. 
  11. ^ a b c “Clinical Calorimetry: XLV. Prolonged Meat Diets With A Study Of Kidney Function And Ketosis” (PDF). J. Biol. Chem. 87 (3): 651–668. (February 13, 1930). http://www.jbc.org/content/87/3/651.full.pdf+html 2015年12月16日閲覧. "“During the first 2 days [Stefansson’s] diet approximated that of the Eskimos, as reported by Krogh and Krogh, except that he took only one-third as much fat. The protein accounted for 45 per cent of his food calories. The intestinal disturbance began on the 3rd day of this diet. During the next 2 days he took much less protein and more fat so that he received about 20 percent of his calories from protein and 80 percent from fat. In these two days his intestinal condition became normal without medication. Thereafter the protein calories did not exceed 25 per cent of the total for more than 1 day at a time.”" 
  12. ^ Stefansson, Vilhjalmur (1935年12月). “Adventures in Diet Part 2 (Harper's Monthly Magazine)”. 2021年1月7日閲覧。
  13. ^ THE EFFECTS ON HUMAN BEINGS OF A TWELVE MONTHS' EXCLUSIVE MEAT DIET BASED ON INTENSIVE CLINICAL AND LABORATORY STUDIES ON TWO ARCTIC EXPLORERS LIVING UNDER AVERAGE CONDITIONS IN A NEW YORK CLIMATEJAMA. 1929;93(1):20-22. doi:10.1001/jama.1929.02710010026005
  14. ^ Stefansson V. The friendly arctic. The MacMillan Co, NY. 1921
  15. ^ Potentially Missing Vitamins in the Vegan and Vegetarian Diet”. mdrnyu.org. 2020年11月19日閲覧。
  16. ^ Clément SABOURIN (2014年12月22日). “南下するホッキョクグマ急増、温暖化で北極圏に異変 カナダ”. AFPBB News. https://www.afpbb.com/articles/-/3034903 2014年12月22日閲覧。 
  17. ^ Eskimos - Old Age”. Revelations - The Initial Journey. Cloud 9 Screen Entertainment Group.. 2018年12月29日閲覧。
  18. ^ 祖父江孝男1972『アラスカ・エスキモー』社会思想社などが参考
  19. ^ hole brothers[1]
  20. ^ 平山朝治2003「人間社会と精神の起源」『東京家政学院筑波女子大学紀要』7:165ff.…etc.
  21. ^ ハンス・リューシュ「世界の頂点」[要文献特定詳細情報]
  22. ^ 新田次郎アラスカ物語[要文献特定詳細情報]
  23. ^ Zegura, Stephen L. et al 2004, High-Resolution SNPs and Microsatellite Haplotypes Point to a Single, Recent Entry of Native American Y Chromosomes into the Americas
  24. ^ スチュアート・ヘンリ「民族呼称とイメージ―「イヌイト」の創成とイメージ操作」『民族学研究』第63巻2号、1998年9月
  25. ^ 『The American Heritage, Dictionary of the English Language, Fourth Edition』(by Houghton Mifflin Company, Published by Houghton Mifflin Company. 2000)
  26. ^ 『expansionistparty.org』("Eskimo" vs. "Inuit")[要文献特定詳細情報]

外部リンク[編集]