エキスポタワー

エキスポタワー
情報
用途 展望台、電波塔
設計者 菊竹清訓建築設計事務所[1]
施工 大成建設・大林組・鹿島建設・清水建設・竹中工務店[1]
建築主 日本万国博覧会協会
管理運営 日本万国博覧会協会
構造形式 鉄骨造
建築面積 176.736[2] m²
延床面積 3,163.37 m²
状態 解体
階数 地上13層(39階分)・地下3層(2階分)[1]
高さ 127m[3][1]
着工 1968年7月26日[1]
竣工 1970年2月28日[1]
開館開所 1970年3月14日開館
1990年9月30日閉館
解体 2003年3月15日解体完了[3]
所在地 大阪府吹田市千里万博公園
座標 北緯34度48分13.7秒 東経135度31分56.6秒 / 北緯34.803806度 東経135.532389度 / 34.803806; 135.532389 (エキスポタワー)座標: 北緯34度48分13.7秒 東経135度31分56.6秒 / 北緯34.803806度 東経135.532389度 / 34.803806; 135.532389 (エキスポタワー)
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エキスポタワー (Expo Tower) は、大阪府吹田市万博記念公園にかつて存在した高さ127メートルの展望塔1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)のランドマークとして建設された。建設費は8億1302万円[1]

老朽化が激しく、2002年8月から2003年3月にかけて解体・撤去された[3]

エキスポタワーは、シンボルタワーとして日本万国博覧会協会が建てたが、万博開幕から解体まで、エキスポランドの付帯施設となっており施設番号はエキスポランド施設を示す800番台の801番だった[4]

特徴[編集]

日本庭園入口を北端に、万博美術館・お祭り広場・太陽の塔・万国博協会ビルと、会場内を南北に伸びる都市軸(シンボルゾーン)の南端部海抜65 mの丘に位置する[1]

一辺10.8 mの正三角形に立てられた垂直に伸びる3本の主柱を中心にした立体トラス構造とし高さ60 mから85 mの中間部にメタボリズム理論に基づいた直径10 m・重量30 tの大型キャビン4個と直径7 m・重量20 tの小型キャビン3個からなる当時の未来の住居モデルであった鋼管と球を組み合わせた54面の多面体キャビンをエレベーターホール・展望室・展示室・貴賓室・機械室・指令室として設置[3][5][1][2]。3本の主柱の真ん中には分速180 mの30人乗りエレベーターを2基設けたが[1]、囲いを設けなかったために雨水にさらされ傷みやすくなっていた。

歴史[編集]

1966年10月に展望台を含むランドマーク建設計画が表面化し[6]、当初案では高さ130 mから180 mの回転展望台・ロープウェイ乗降駅を設け1967年度より着工し開催2年前に完成させ万博開催へ向けての広告塔としての役割を持たせるとした[6]

その後1967年4月に万博会場計画の立案に携わった丹下健三ら13名の建築家による高さ400 mの案が提出されたが予算不足から万博協会は難色を示し、代替案として6月三菱グループが350 mから380 m級の回転展望台付きタワーの建設と会期中の万博協会への無償貸与を申し入れ、万博協会は4月に申し込んだ三菱のパビリオン出展を取り消さない事を条件に受け入れた[6]

しかし7月の参議院運輸委員会で運輸省がタワー建設地や会場上空が大阪国際空港の東京方面への上昇経路や小型機旋回地点に重なり離着陸に支障が出ることから澤雄次航空局長がタワーの高さを180 m級程度とする意向を示し万博協会に190 m以下での建設申し入れを行い[6][7]左藤義詮大阪府知事も閉会後の企業広告塔としての利用に難色を示した事もあり万博協会は建設中止を持ちかけ三菱グループによる計画は取り止めとなった[6]

1968年3月には万博協会より建築家・菊竹清訓による高さ170 mの四本柱構造の設計案が提示されたものの入札不調に終わり[8]、予算等の関係で3本柱で高さ127 mに縮小し大成建設を中心とした5社共同企業体により1968年7月に着工し1970年2月に完成[8][1]。1970年の万博開催当時はタワー全体が銀色に塗装され展望塔と会場内全体の無線通信の中継アンテナとして用いられた[1]。また出入口周辺の広場にはサービス施設として食堂8店舗・売店9店舗・写真相談所・ロッカー・案内所・貸出所・便所・管理所・警備員詰所を配置した[1]

万博閉幕後は赤と白に塗り替えられ、1972年3月15日のエキスポランドの再開園と共にエキスポランドのアトラクションのひとつとして有料で塔に登ることができたがランドの敷地から離れた丘の上という立地の悪さから来場者は少なく、1990年9月30日をもって展望塔としての営業を終了し塔は閉鎖され解体までほぼ放置された。また、携帯電話の基地局としても使われていた。

解体後にはヤノベケンジによりキャビンパネルの一部が現代アート作品「Tower Of Life」として用いられたほか[9]、2010年からは旧鉄鋼館を改装し開業したEXPO'70パビリオンにキャビンパネルの一部や塔頂上に設置されていたキセノン投光器が展示されている[10][11]

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 日本万国博覧会公式記録第3巻 建設 基幹施設 シンボルゾーン内施設(4)エキスポタワーと付属施設 - 日本万国博覧会記念協会(1972年)
  2. ^ a b 日本万国博覧会公式記録第2巻 エキスポランド 遊技施設と運営管理 エキスポタワー - 日本万国博覧会記念協会(1972年)
  3. ^ a b c d 特集 最近の特徴的な建築構造物解体&リサイクルシステム エキスポタワーの解体工事 - 建設機械 2004年5月号(日本工業出版)
  4. ^ 日本万国博覧会公式記録第2巻 運営 観客サービス 建物番号 - 日本万国博覧会記念協会(1972年)
  5. ^ 大阪万博の二つのタワー:エキスポ・タワーと太陽の塔 - 都市の高さとまちづくり(大澤昭彦)
  6. ^ a b c d e 大阪万博 幻の400m級タワー - 都市の高さとまちづくり(大澤昭彦)
  7. ^ 第055回国会 運輸委員会 第19号 - 国会会議録検索システム
  8. ^ a b 第四章日本万国博覧会 第三節夢の実現―未来都市に挑戦 - 大林組八十年史(大林組)
  9. ^ Tower Of Life - YANOBE KENJI ART WORKS
  10. ^ “6000万人が訪れた大阪万博の実物資料をじっくり見たり音楽演奏を聞いたり可能な「EXPO’70パビリオン」に行ってきた”. Gigazine. (2015年12月27日). https://gigazine.net/news/20151227-expo70-pavilion-2015/ 
  11. ^ “缶コーヒーもLANも万博から広まった、大阪の万博記念公園にオープンした「EXPO’70パビリオン」に行ってみた”. Gigazine. (2010年4月6日). https://gigazine.net/news/20100406_expo70_pavilion/ 
  12. ^ ある人生 万博とび頭 - NHK放送史

関連項目[編集]

外部リンク[編集]