ウルリッヒ・サルコウ

ウルリッヒ・サルコウ
Ulrich SALCHOW
フィギュアスケート選手
1908年ロンドンオリンピックにて
生誕 (1877-08-07) 1877年8月7日
 デンマーク コペンハーゲン
死没 (1949-04-19) 1949年4月19日(71歳没)
 スウェーデン ストックホルム
選手情報
世界フィギュアスケート殿堂 1976年
代表国  スウェーデン
指導者情報
元役職 国際スケート連盟 会長
大会成績
国際スケート連盟主催大会 1 2 3
オリンピック 1 0 0
世界選手権 10 3 0
欧州選手権 9 0 1
合計数 20 3 1
国内大会 1 2 3
スウェーデン選手権 3 0 0
フィギュアスケート
オリンピック
1908 ロンドン 男子シングル
世界選手権
1897 ストックホルム 男子シングル
1899 ダボス 男子シングル
1900 ダボス 男子シングル
1901 ストックホルム 男子シングル
1902 ロンドン 男子シングル
1903 サンクトペテルブルク 男子シングル
1904 ベルリン 男子シングル
1905 ストックホルム 男子シングル
1907 ウィーン 男子シングル
1908 オパヴァ 男子シングル
1909 ストックホルム 男子シングル
1910 ダボス 男子シングル
1911 ベルリン 男子シングル
欧州選手権
1898 トロンハイム 男子シングル
1899 ダボス 男子シングル
1900 ベルリン 男子シングル
1901 ウィーン 男子シングル
1904 ダボス 男子シングル
1906 ダボス 男子シングル
1907 ベルリン 男子シングル
1909 ブダペスト 男子シングル
1910 ベルリン 男子シングル
1913 オスロ 男子シングル

カール・エミール・ユリウス・ウルリッヒ・サルコウKarl Emil Julius Ulrich Salchow1877年8月7日 - 1949年4月19日)は、スウェーデンストックホルム出身のフィギュアスケート選手。1908年ロンドンオリンピック男子シングルメダリスト。世界フィギュアスケート選手権で10度の優勝を誇る20世紀初頭を代表する選手である。

経歴[編集]

サルコウは、世界フィギュアスケート選手権で2度の5連覇(1901-1905, 1907-1911)を含む10回の優勝を果たした。この世界選手権優勝回数10回はソニア・ヘニー(1927–1936)(女子シングル)とイリーナ・ロドニナ (1969–1978)(ペア)のタイ記録である。加えて、ヨーロッパフィギュアスケート選手権では9度の優勝を飾った。

1908年ロンドンオリンピックで初めてフィギュアスケートが採用されたが、そこでもあっさりと優勝。初代オリンピックチャンピオンに輝いた。ただしこの男子シングルに参加したのは9名であり、ジャッジは5名であった。ジャッジ5名のうち2人はサルコウと同じスウェーデンの国籍、1人はスイス国籍だがサルコウの知人、残りはロシアとドイツのジャッジであった。コンパルソリーフィギュア終了時点で1位がサルコウ、2位がロシアのニコライ・パニンであったが、サルコウに1位をつけたのはスウェーデン2人とスイス人、パニンに1位をつけたのは残りの2人。これにパニンは異議を唱えてコンパルソリー終了時点で棄権をしてしまった。最終的に1位2位3位を全てスウェーデン人が独占した。

サルコウジャンプ[編集]

1909年、サルコウはターンで後ろ向きになり、振り上げた右足の勢いを利用して左足の内側で踏み切るエッジジャンプを初めて大会で成功させた。このジャンプがサルコウの名を冠したサルコウジャンプである。

競技生活を終えた後もサルコウはスポーツ界にとどまり、1925年から1937年の間、国際スケート連盟の会長に就任した。さらにストックホルム最大のスポーツクラブの会長も務めた。1931年歯科医師のアンナ・エリザベス・サルコウ(Anna Elisabeth BAHNSON GORMSEN SALCHOW、旧姓はBAHNSON)と結婚した。サルコウは1949年4月19日にストックホルムで没し、同地のNorra begravningsplatsenに埋葬された。1976年世界フィギュアスケート殿堂入り。

主な戦績[編集]

大会/年 1895 1896 1897 1898 1899 1900 1901 1902 1903 1904 1905 1906 1907 1908 1909 1910 1911 1913 1920
冬季オリンピック 1 4
世界選手権 2 2 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1
欧州選手権 1 1 1 3 1 1 1 1 1 1
スウェーデン選手権 1 1 1


関連項目[編集]

外部リンク[編集]