インセンス・アンド・ペパーミント

インセンス・アンド・ペパーミント
ストロベリー・アラーム・クロックシングル
初出アルバム『Incense and Peppermints
B面 アルカトラッシュのバードマン
リリース
規格 7インチ・シングル
ジャンル サイケデリック・ポップ
サイケデリック・ロック
時間
レーベル オール・アメリカン・レコード
Uniレコード(再発売)
作詞・作曲 ジョン・カーター、ティム・ギルバート
(クレジットなし:マーク・ワイツ、エド・キング)
プロデュース フランク・スレイ
ゴールドディスク
ゴールドディスク
チャート最高順位
ストロベリー・アラーム・クロック シングル 年表
インセンス・アンド・ペパーミント
(1967年5月)
Tomorrow
(1967年12月)
ミュージックビデオ
「Incense and Peppermints」 - YouTube
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インセンス・アンド・ペパーミント」 (Incense and Peppermints) は、ストロベリー・アラーム・クロックが1967年に発表した楽曲。全米1位を記録。サイケデリック・ロックの典型的な作品の一つ。

概要[編集]

カリフォルニア州グレンデール出身のロック・バンド「Thee Sixpence」は1966年、マネージャーのビル・ホルムズが所有するオール・アメリカン・レコードからデビュー。ホルムズはプロデューサーも務め、同年12月には4枚目のシングルが発売された。

1967年2月13日、米国でビートルズの両A面のシングル「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー / ペニー・レイン」が発売される(本国イギリスは2月17日)[3][4]。ことにジョン・レノンが書いた「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」が世界に与えた衝撃はすさまじく、サイケデリックは時代を表すキーワードの一つとなり、サイケデリック・ロックはロックの大きな潮流となっていった[5][6]

その頃、ジョン・カーターが書いた「インセンス・アンド・ペパーミント」がグループのもとへ持ち込まれた。歌詞は明らかに流行に沿ったものであった。しかしメンバーは、歌詞もカーターの仮歌も気に入らなかった。新しくプロデューサーを務めることになったフランク・スレイは、スタジオに遊びに来ていたグループの友人で「Shapes of Sound」というバンドにいた、当時16歳だったグレッグ・マンフォードにリード・ボーカルを歌わせた[7]。「Thee Sixpence」はグループ名を「ストロベリー・アラーム・クロック」に変更して再デビューすることとなった。

同年4月、メンバーのマーク・ワイツが書いた「アルカトラッシュのバードマン」をA面、「インセンス・アンド・ペパーミント」をB面とするシングルが発売[1]。「インセンス・アンド・ペパーミント」の作者のクレジットはジョン・カーターと、カーターとチームを組んでいたティム・ギルバートの二人となっているが、実際はギルバートは名前だけで、ワイツとエド・キングが曲作りに関わった[8]

発売直後から地元のラジオ局はB面の本作品を盛んにかけ始めた。ヒットのにおいをかぎつけたMCAレコード傘下のUniレコードは同年5月19日、A面B面を反対にして再リリースした[2]。本作品はBillboard Hot 100に16週にわたってチャート入りし、11月25日についに1位を獲得した。キャッシュボックスでも1位を記録し、ゴールドディスクに輝いた。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • DeRogatis, Jim (2003). Turn on Your Mind: Four Decades of Great Psychedelic Rock. Milwaukee, WI: Hal Leonard. ISBN 978-0-634-05548-5 

関連項目[編集]

先代
ルル
いつも心に太陽を
Billboard Hot 100 ナンバーワンシングル
1967年11月25日(1週)
次代
モンキーズ
デイドリーム