イペタム

イペタムアイヌ語ローマ字表記:ipetam)[1]は、北海道アイヌの伝説にある妖刀[2]エペタム[3]エベタム[4]イベタム[5]イベタン[6]と表記されることもある。

概要[編集]

語意は ipe(食う)tam(刀)[2][7]。いちど抜いたら人を斬って血を見るまでおさまらない刀であり[7]、空中を飛んできて人を斬るという恐ろしい刀である[8]。道内各地に同様の伝承があるが、むかわ町(旧穂別町)の人喰い刀の伝説がよく知られている。

伝承では、ペップトコタン(現在の穂別中学校付近)という村(コタン)では、酋長の家に魔力を持つ妖刀が納められていた。この妖刀は、盗賊が近付くとカタカタと鍔鳴りの音がして、ひとりでに鞘から抜け出して敵に飛びかかり、相手を殺してまた戻ってきたという。妖刀は血を求め動き出すが、それを止める秘法を知っているただ一人の長老が死んでしまったため、[要出典]に包んで仕舞込んだ。ある時その包みが妖しく光りだしたので、村人は恐れて刀を捨てに行ったが、山に捨てても川に捨ててもひとりでに戻ってくるのだった。旅の者が、石を食わせればおとなしくなるだろうというので、鉄の箱に石と一緒に入れたところ、石を削る音がしてしばらくは動きださなかった。[要出典]しかし再び抜け出して人を襲い始め、困った人々が神に祈り、そのお告げの通りに底なし沼へ捨てたところ、ようやく何事もなくなったという。

別の伝承では、ハッタルウシップ(穂別町栄から豊田付近)のある村にハイ(日高町豊郷)のアイヌたちが略奪に攻め寄せてきたが、老婆が目釘の緩んだ山刀を振ってカタカタいわせたところ、襲撃者たちは妖刀の音に違いないと怖気づいて逃げ出したという[9]。ほぼ同じ伝承が阿寒など各地にある中で[10]門別厚別の伝承では、攻め寄せたのは釧路のアイヌとなっている[11]。この伝承の場合、敵が逃げ出そうとするのを隠れて見ていたのに、ある女が「バカな奴らだ、山刀の音に驚いて」と嘲笑ったのを聞きつけられて、怒った釧路勢に全滅させられたという[11]登場人物名から、シャクシャインオニビシの争いの一環が伝説化したとされる。[要出典]

イペタムは伝説上の刀剣であって、その姿は当然わからないが、いわゆるアイヌ刀はその全てが日本刀太刀腰刀の拵か、アイヌ好みの装飾を施した蝦夷拵(えぞこしらえ)である。

なお、「イペタム」はあくまでも妖刀(人喰い刀)の意味の一般名詞であり[2]、北海道各地の伝承では、個別の名称を持った網走最寄のピンネモソミ[12](細身の男剣[12]pinneposomi[要出典])と美幌のマッネモソミ[12](細身の女剣[12]matneposomi[要出典])、釧路桂恋のオポコロペ[13](opokorpe、ウボコベ[要出典]、オボコロベ[14]、妊婦を切った刀[14])などの妖刀伝説もある。

「イペタム」と「エペタム」の表記の違いについては、アイヌ語にも方言差はあるものの、発音はイペ(ipe)である。伝承を採集した研究者が、北海道方言東北方言の一部のように、イとエの発音の区別がつけられない日本語方言話者であったからではないかとの推測があるが、検証はされていない。

このほかにイペオプ(ipeop)[15][16](人食い、または人を食う矛[5] )の伝説もある[2]

各地の妖刀伝説[編集]

上川[編集]

昔、上川の酋長の家(チセ)では、神窓に煤けて古ぼけたゴザの包みが吊り下げられていたが、先祖から「この包みの中の刀は決して開いて見てはならない」と言い伝えられてきた。ある時、包みが妖しく光り出し、酋長の家から夜毎に妖光が走り去ると、光が入った家の者は斬殺され死んでいた。恐れた酋長が包みを山に捨てても川に捨てても、石狩川の一番の深み(神居古潭)に捨てても、いつの間にかひとりでに家に戻っていた。ほとほと困り果てたところ、「ホトイパウシ下の沼の巨岩に、祭壇を作って祈ればよい」と神のお告げがあった。沼のほとりの巨岩で祈っているとエゾイタチが現れ、咥えたクルミをその底なし沼に落とすと、水面が風もないのに急に波立った。これは神の使いであると、妖刀を沼に投げ入れたところ、以後は何事も起こらなくなった。水面の波と見えたのは無数の蛇であったという。それから、巨岩をエペタムシュマ(人喰い刀の岩)と呼んだ。[17]

また別の伝承では、ある老人が2振の妖刀を持っていた。物を食べさせないと騒ぐので、箱の中に石を入れると音をたてて食べた。このままでは自分も食われると思って底無し沼に納めると、沼の脇に2本の刀形の岩が水底から立つようになった。[18]

また別の伝承では、旅人が「イペタムには石をあてがっておくといい」というので、鉄の箱に石と一緒に入れたところ、石を削る音がしてしばらくは動きださなかった。しかし再び抜け出して人を襲い始め、底なし沼へ捨てたところ、ようやく何事もなくなった。沼の傍らには、いまもエペタムシュマ(人をくう刀の岩)がそそりたっているという。[19]

これらの伝承に登場する巨岩は、現在の旭川市神居町忠和にある、水神龍王神社の立岩であるという。[20]

沙流[編集]

昔、強くて狂暴な十勝アイヌの群盗が、沙流アイヌの村を次々と掠奪していた。十勝アイヌがある村を襲ったが、このとき村人はみな猟に出ていて、老婆がひとり留守を守っていた。襲撃に気づいた老婆は、目釘のゆるんだ鉈を振ってカタカタと音を立てた。その音を聞きつけた十勝アイヌは、あわてて逃げ去った。沙流にはイペタムという刀が伝わっていた。イペタムは、細い革といっしょに箱に入れておけばカタカタと音を立てながら革を喰うが、ときには箱から抜け出して人を斬り殺すという妖刀だった。十勝アイヌは、老婆が立てた音をイペタムが立てた音だと勘違いして、逃げたのだった。[4]

別の伝承では、沙流アイヌの村々を襲うのは十勝アイヌだけでなく、石狩アイヌも掠奪を行なっている[21]。また、イペタムと村正を関連づけて語られている[22]

むかわ町穂別[編集]

昔、娘が畑を耕していたところへ、日高アイヌが川下の方から攻め上がってきた。襲撃に気づいた娘は、急いで肌着をまくって前屈みになり、お尻を出してホパラタしながら逃げ出した。日高アイヌはそれを見たら目がくらんで、娘の姿を見ることができなくなってしまった。ややあって、娘が砦に登っていくのが見えたので、日高アイヌは砦に攻め寄せた。砦の男たちは皆狩りに出ていたので、留守を守っていた老婆が、目釘の緩んだ鎌鉈を振ってカッタカッタと音を鳴らした。老婆が立てた音を人食い刀のイペタムが立てた音だと勘違いした日高アイヌは、着物をまくり、褌を外してホパラタしながら逃げ去った。[9]

様似[編集]

昔、様似の村長がエンルム岬に砦を構えていた。村長はイペタムという刀を持っており、このイペタムは自分の意思を持ち、自ら人間に切りかかって殺すという、恐ろしい武器だった。ある日、村長が持っているイペタムを奪おうと砦に攻め込んだ者がいて戦いになったが、なかなか勝負がつかず、にらみ合いが続いた。ある朝、村長が見張り台に登ると、対岸に鯨が打ち上げられて、カモメがたくさん群れているのが見えた。喜んだ村長は手下を連れてそこに駆けつけたが、村長が見たのは鯨ではなく、砂を盛って作った小山だった。小山の上には小魚が撒き散らしてあって、この小魚ほしさにカモメが集まっていたのだった。これは敵の策略で、村長たちが砦を留守にしていた隙に、イペタムは敵に奪われてしまった。[23]

網走(海岸の洞窟)[編集]

昔、網走川の河口から北に進むと、沖に二つ岩という岩塊と、海岸にペシュイ(洞窟)があった。洞窟に入ると途中で二股に道が分かれ、左へ曲がれば川の対岸(網走市大曲)の崖のペシュイに出るが、右へ曲がると冥界に行くという。昔ある時、フーリという大怪鳥がペシュイに住みつき、村人を襲って喰らった。網走モヨロの村には、一抜きで千人斬るという細身の男剣ピンネモソミがあり、美幌の村には同じく一抜き千人斬りの細身の女剣マッネモソミがあったので、モヨロの6人の勇士が男剣を持って退治に出た。その道中で、子を負った女がフーリにさらわれ洞窟に引きずり込まれていたので、3人が剣と共に駆け込み、後の3人が遅れて駆け込んだ。後の3人は崖の洞窟から戻ってきたが、先の3人は戻ってこず、フーリも現れなくなった。これ以来、モヨロには名刀がなくなった。その後、もう一羽のフーリが二つ岩に止まっていたので、今度は美幌の女剣を借り出して退治しようとした。岩へ葦の茎で橋をかけて渡ろうとしたが、茎が折れて渡れない。そこで剣を投げつけるとフーリを喰い殺したという。これらも人喰い刀(イペタム)なので、「喰い殺す」というのである。剣は岩の上で誰も取りに行かず、蛇になってぶら下がっていたがそのうちに消えてしまった。これ以来、美幌にも名刀がなくなった。洞窟は後にフーリシュイ(フーリの穴)と呼ばれた。[12]

北見美幌[編集]

北見美幌にはフリシュイ(フリーの穴)という地名があり、そこには怪鳥フリーが棲んでいるといわれていた。昔、子供を負った女がフリーにさらわれた。子供と妻をさらわれた夫は、5人の友人と一緒に、人をも食うというイペタムを持って岩穴に入った。洞窟は途中で二つに分かれていたので、男たちも二組に分かれて洞窟を進んだ。一方の組は何事もなく洞窟を抜けたが、イペタムを持っていたもう一組はひとりも戻ってこなかった。[24]

釧路桂恋[編集]

昔、釧路桂恋の酋長の家には、見事な鎧と刀が家宝として伝わり、鎧は竿にかけてチャシに立てて飾り、金具が光り輝くのを自慢していたが、刀の方は二重の箱に仕舞い込んで人には見せなかった。箱に干し魚を入れるといつの間にかなくなり、入れないと箱からガクガク音がして催促されるので絶やすことはなかった。これも妖刀(イペタム)なので、「生きた刀」として恐れられていた。光る鎧の話は各地に知れ渡り、北見の酋長の耳にも入った。北見の酋長はどうしても欲しくなり、盗み出そうと算段したが上手くいかない。そこで、男では警戒されるが、妊婦なら油断するだろうと、ある女を忍び込ませた。桂恋の者たちが漁に出た隙に鎧を盗み出したが、それに気づいた桂恋の酋長は刀を持って追いかけ、モシリヤチャシで追いついた。女の背後から切りつけ、胎児もろともに切り殺して鎧を取り戻したので、以後はその刀を妊婦を切った刀オボコロベというようになった。[14]

また別の伝承では、桂恋のエカシの家に祖先伝来の宝刀が一本あり、イペタム(物を食う刀)と名付けられていた。この刀を納めて置く箱の中には、常に獣の骨を入れておき、箱の中からカタコトと音がするので開けて見ると、獣の骨は粉々になっているのだった。しかしエカシたちは、イペタムを放置して悪いことが起きては大変だと考え、明治30年頃に、イペタムに石を括りつけて海に沈めた。[25]

また別の伝承では、イペタムには干し魚を食わせる。干し魚を与えないでイペタムが腹を空かせると、イペタムはひとりでに鞘から抜け出して、人の血を求めるという。このイペタムも、明治頃に海に沈められた。[26]

ユーカラの妖刀[編集]

妖しい刀の昔話[編集]

生まれ故郷で不遇な目にあった兄弟が、村を出奔した。兄弟は水たまりにアメマスが2尾いるのを見つけて、ヤスで突いて取り上げると、アメマスは2本の刀になった。刀を手に入れた兄弟は、ある村にたどりついて、それぞれ妻を娶って暮らし始めた。まもなく弟の妻は身ごもって、女子を産んだ。弟の家には唐櫃が置いてあったが、その唐櫃からネズミが物を噛むような音がすると、弟は箱の中に革を入れていた。ある晩、妻は厠へ行きたくなって夜中に目を覚まし、外へ出た。厠から戻ってくると、家の中が明るくなっていた。覗いて見ると、梁の上に、肌が光り輝いている裸の美女がいて、赤ん坊を掴んで揺さぶっていた。妻が戸を開けて入ると、部屋は真っ暗になり、赤ん坊は喉を裂かれて死んでいた。夫婦は悲哀に沈みながら暮らしたが、そのうち妻はまた身ごもって、こんどは男子を産んだ。また唐櫃からネズミが物を噛むような音がして、弟は箱の中に革を入れていた。ある晩、妻はまた厠へ行きたくなって夜中に目を覚まし、こんどは赤ん坊を抱いて外へ出た。厠から戻ってくると、家の中が明るくなっていた。覗いて見ると、裸の美女が弟を掴んで揺さぶっていた。妻が戸を開けて入ると、部屋は真っ暗になり、弟は喉を裂かれて死んでいた。妻の父が兄を問いただすと、兄弟が持っていた、あのアメマスが変じた刀の祟りだと分かった。妻と兄は2本の刀を山に捨てたが戻ってきたので、こんどは石を縛り付けて海に沈めたら、戻ってこなかった。[27]

隠された人食い刀[編集]

ポンヤウンペの家には、ムッケ イペタム(隠された人食い刀)という短刀があった。ある夜、ポンヤウンペは短刀を持って出かけ、ある大きな家にたどりついた。家の中を覗いて見ると、武装した人々が集まって、ポンヤウンペを襲う相談をしていた。そのうちポンヤウンペの懐にあった短刀が飛んでいって、ひとりの呪術師を刺し殺して戻ってきた。ポンヤウンペは家の中に踏み込んで、男たちを刀で切り殺していった。そうしているうちに、懐にあった短刀がまた飛び出して、まわりにいる男たちを一人残らず切り殺した。ポンヤウンペは、自分の味方をしてくれた2人の女を連れ帰って、3人で何の不自由もなく暮らした。[28]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ ムは小書きム
  2. ^ a b c d 第19回旭川市アイヌ語地名表記推進懇談会の開催結果” (PDF). 旭川市博物館 (2018年11月8日). 2020年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月21日閲覧。
  3. ^ 北海道伝説集 アイヌ篇、258頁
  4. ^ a b 日高村五拾年史、54頁
  5. ^ a b ユーカラ概説、42頁
  6. ^ サルウンクル物語、14-15頁
  7. ^ a b 萱野茂のアイヌ語辞典、71頁
  8. ^ アイヌ語沙流方言辞典、693頁
  9. ^ a b 『北方研究 第一輯』知里真志保「性に関するアイヌの習俗」”. 青空文庫. 2022年12月24日閲覧。
  10. ^ アイヌ伝説集 更科源蔵アイヌ関係著作集I、224-225頁
  11. ^ a b アイヌ伝説集 更科源蔵アイヌ関係著作集I、95-97頁
  12. ^ a b c d e 『北方文化研究報告 第十一輯』知里真志保「あの世の入口―いわゆる地獄穴について―」”. 青空文庫. 2022年12月24日閲覧。
  13. ^ 釧路叢書 第9巻、67頁
  14. ^ a b c アイヌ伝承と砦、158-159頁
  15. ^ プは小書きプ
  16. ^ 萱野茂のアイヌ語辞典、70頁
  17. ^ 伝説の旭川及其附近、54-58頁
  18. ^ 北海道伝説集 アイヌ篇、260頁
  19. ^ 日本童話全集12、82-89頁
  20. ^ 史跡等表示板 底無沼・立岩伝説の地”. 旭川市. 2022年12月24日閲覧。
  21. ^ サルウンクル物語、12頁
  22. ^ サルウンクル物語、15頁
  23. ^ アイヌ語ラジオ講座「平成18年度 様似アイヌ語教室 第3期」”. アイヌ民族文化財団. 2022年12月24日閲覧。
  24. ^ コタン生物記III 野鳥・水鳥・昆虫篇、647頁
  25. ^ 森と大地の言い伝え、118頁
  26. ^ アイヌのくらしと言葉1、49-50頁
  27. ^ ユーカラ概説、38-42頁
  28. ^ 平成16年度アイヌ民俗文化財調査報告書、6-9頁

参考文献[編集]

  • 宇田川洋『アイヌ伝承と砦』 北海道出版企画センター、1981年
  • 近江正一『伝説の旭川及其附近』 旭川郷土研究会、1931年
  • 萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典』 三省堂、2002年
  • 川上勇治『サルウンクル物語』 すずさわ書店、1976年
  • 金田一京助『ユーカラ概説』 楡書房、1942年
  • 釧路叢書編纂委員会 編『釧路叢書 第9巻』 釧路市、1968年
  • 更科源蔵『北海道伝説集 アイヌ編』 楡書房、1955年
  • 更科源蔵『アイヌ伝説集 更科源蔵アイヌ関係著作集I』 みやま書房、1981年
  • 更科源蔵、更科光『コタン生物記III 野鳥・水鳥・昆虫篇』 法政大学出版社、1977年
  • 田中すず子『アイヌ語沙流方言辞典』 草風館、1996年
  • チカップ美恵子『森と大地の言い伝え』 北海道新聞社、2005年
  • 知里真志保『知里真志保著作集 全5巻』 平凡社、1993年
  • 土屋宗達 編著『日高村五拾年史』 日高村役場、1956年
  • 坪田譲治『日本童話全集12』 あかね書房、1960年
  • 北海道教育庁社会教育部文化課 編『アイヌのくらしと言葉1』 北海道教育委員会、1989年
  • 北海道教育庁生涯学習部文化課 編『平成16年度アイヌ民俗文化財調査報告書』 北海道教育委員会、2005年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]