アリュートル人

アリュートル人
Alyutors
居住地域
ロシアの旗 ロシア96[1][注釈 1]
言語
ロシア語アリュートル語
宗教
シャーマニズム
関連する民族
コリャーク人チュクチ人ケレク人イテリメン人

アリュートル人(アリュートルじん、Alyutors、ロシア語: Алюторцы)はロシアカムチャツカ半島チュコート半島に住んでいた先住民族。アリュートル語を話す。かつてはコリヤーク人の下位群とされていた[2]。現在はほとんどがコリヤーク管区に住む。現在の正確な人口は不明だが、約2000 - 3000人がロシアに住むと言われる[3]

言語[編集]

アリュートル人はチュクチ・カムチャツカ語族に属するアリュートル語を話すが、今でも話す事の出来るアリュートル人は全体の1割にも満たない[4]。今日、ロシアの研究者の多くはアリュートル語を単一言語であると見做しているが、コリャーク語の方言として捉えられる事も未だに多い[5]

歴史[編集]

アリュートル人はロシアのカムチャツカ半島の植民地化に関する記述では初期に現れる。1697年、ロシアのコサックがアリュートル人に徴税を課し、続く数年間の抵抗にあった事が記されている。1751年の蜂起が鎮圧されて以降は、アリュートル人の人口は激減した。加えて彼らはトナカイの頭を徴収していたチュクチからの攻撃も頻繁に受けていた。18世紀末にはアリュートル人は隔絶されたため、天然痘の流行による影響は皆無であった。この隔離は彼らの伝統的な生活様式を保つのに一役買ったのである。

伝統的にアリュートル人はトナカイの飼育や釣り、狩猟等に従事していた。彼らの集落は視界が良く川べりにある標高の上がった場所にあった。垂直な壁を有する3から5家族用の八角形の地中住宅が彼らの19世紀までの住居の形であった。1950年代から1970年代にかけてアリュートル人の子供は学校に下宿し始めたため、アリュートル語やアリュートル文化の継承が難しくなっている[4]ソビエト連邦時代のアリュートル人は教師や医者、地質学者、動物園技術者等の職業に従事していた。

今日、アリュートルの伝統、文化、芸術は環境破壊によるトナカイの個体数減少によって危機に曝されている。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 統計外で約2000 - 3000人がいると言われている。

出典[編集]

  1. ^ Национальный состав населения Российской Федерации”. 2023年1月30日閲覧。 согласно переписи населения 2020—2021 года
  2. ^ Young, T. Kue and Bjerregaard, Peter (2008) Health Transitions in Arctic Populations University of Toronto Press, Toronto, p. 75, ISBN 978-0-8020-9401-8, citing the Russian 2002 census
  3. ^ Krauss , Michael E. (1997). "The Indigenous languages of the North: A Report on their present state: Northern minority languages: problems of Survival" Senri Ethnological Studies (Osaka, Japan) 44: pp 1-34; based on the earlier report: Krauss, Michael E. (1995) The indigenous languages of the North: A report on their present state Alaska Native Language Center, University of Alaska Fairbanks, Fairbanks, Alaska.
  4. ^ a b Kibrik, Alexandr E.; Kodzasov, Sandro V. and Muravyova, Irina A. (2000) Yazyk i folklor alutortsev Nasledie, Moscow; English edition: Kibrik, Alexandr E.; Kodzasov, Sandro V. and Muravyova, Irina A. (2004) Language and folklore of the Alutor people (呉人 恵訳) 大阪学院大学情報学部 OCLC 166421257
  5. ^ See Young (2008), above, for the reclassification of eastern Siberian ethnicities.