なべおさみ

なべ おさみ
本名 渡辺 修三
ニックネーム なべちゃん
生年月日 (1939-05-02) 1939年5月2日(84歳)
出身地 日本の旗 日本東京府東京市大森区(現:東京都大田区
身長 161cm
言語 日本語
最終学歴 明治大学文学部演劇学専攻
師匠 ハナ肇
芸風 コント
事務所 吉本興業
活動時期 1960年代 -
過去の代表番組 シャボン玉ホリデー
ルックルックこんにちは
他の活動 司会者
放送作家
著作家
声優
配偶者 笹るみ子(2016年死別)
親族 長男(なべやかん
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なべ おさみ
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年2月12日 -
ジャンル エンターテイメント
登録者数 1,850人
総再生回数 161,122回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2021年9月5日時点。
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なべ おさみ(本名:渡辺 修三、1939年昭和14年〉5月2日 - )は、日本コメディアン俳優タレントラジオパーソナリティ司会者放送作家著作家声優吉本興業所属。

東京府東京市大森区(現:東京都大田区)出身。明治大学文学部卒業。

妻は笹るみ子、息子はお笑い芸人で元パワーリフティング日本代表のなべやかん

経歴[編集]

  • 5兄弟(姉と兄と妹が2人)。工場経営者の子として大森で生まれ、4歳から10歳まで茨城県東茨城郡鯉淵村(現在の笠間市水戸市)に疎開[1]。実家は伯父が創業した石綿パイプ製造の会社で、千坪を超す大森の本社のほか、新潟などにも工場を持っていた[2]
  • 大田区立大森第八中学校を卒業。
  • 渋谷での不良時代に、伝説のヤクザ花形敬から、「不良は不向きだから大学へ行け」と自身の母校を勧められ1958年明治大学文学部演劇学専攻に入学。父親が小堀甚二平林たい子元夫婦と古くから付き合いがあったことから、作家として成功していた平林に借金を申し込んで独立[3]。大学で石津謙介の三男・啓介と知り合い、石津家と親しくなる[4]
  • 在学中から三木鶏郎門下としてラジオ台本を書いた。このとき指導してくれたのが無名時代の野坂昭如だった[5]。本来コメディアン志望で、勝新太郎水原弘の付き人となり、水原の渡辺プロダクション入りを機に同時に渡辺プロに入る。芸名の由来は、なべが本名の渡辺を名乗って勝新太郎に電話をした際に、勝に渡辺プロの社長だと勘違いをさせてしまったため、勝から「お前は渡辺じゃねえ、ただのなべだ」と叱られたことからである。その後水原は渡辺プロを退社するが、なべはそのまま残ってハナ肇の付き人となる。付き人時代からなべは自分の名刺を持っており、テレビ局の関係者らに配っていたという[6]。大学在学中の学費は渡辺プロダクションが負担した。1962年に「<お笑い三人組>における大衆の笑い」という卒論で、大学を卒業。
  • 付き人時代から、ラジオのディスクジョッキー構成作家ジャズ喫茶の司会などをこなしていたが、1964年日本テレビバラエティ番組シャボン玉ホリデー』でお茶の間の圧倒的な人気を獲得し、一躍スターダムにのし上がった。「シャボン玉ホリデー」での代表コントである「キントト映画」は、なべ扮する架空の映画会社・キントト映画社の映画監督安田伸扮する助監督との掛け合いで、なべがメガホンで安田に「ヤスダーッ!」と怒鳴り散らすというもので、同番組の定番ネタとなった。大先輩の安田を相手に遠慮のない演技で、この空威張り演技の面白さはなべの武器の一つとなっていく。1968年松竹映画『温泉ゲリラ 大笑撃』で主演に抜擢、続けて山田洋次監督の『吹けば飛ぶよな男だが』でも主役に起用され、サトウサンペイ漫画を実写映画化した『夕日くん』シリーズでは平凡なサラリーマンを演じるなど、映画俳優としても地位を確立した。しかし、その後学生時代からの恩師である渡辺晋と対立してしまい、渡辺プロダクションを退社して森繁久彌の付き人を務めた後に、1978年から日本テレビのワイドショールックルックこんにちは』で「女ののど自慢」の司会を担当。番組随一の人気コーナーに成長させた。
  • 明治大学替え玉受験」を起こしマスコミからバッシングを受ける。
    1. 1991年、息子である「なべやかん」(当時は一般人)の明治大学入試に関する替え玉受験疑惑が持ち上がり、当初は「楽屋を訪ねて来た見知らぬ紳士から話を持ちかけられた」「特別な推薦枠が有ると言われた」などと否定していたが、最終的には「知人に話を持ちかけられた」と不正を認め、改めて謝罪した。
    2. しかし、今でも推薦入学の話だと思っていたとして、替え玉であったことまでは知らなかった[7]という弁解もしている。
    3. 息子の「なべやかん」の明大替え玉受験に伴って金銭の授受が有ったのではないかという疑惑について、なべ自身は頑強に否定した。しかし裁判では逮捕された関係者は仲介者を通して替え玉受験の依頼者から、多額の現金を受け取っていたことも明らかになっている。
    4. この事件で明大の体育会関係者らが複数逮捕され、元相撲部監督らが実刑判決を受けた。
    5. このことを受けてなべは出演していた『ルックルックこんにちは』を降板するなど、全ての芸能活動を自粛した[注釈 1]
    6. これは過去にワイドショーなどでなべが度々「教育評論家」的な発言をしており、余りの言行不一致によりマスコミからは格好の餌食となった自業自得の面も否定出来ない。
    7. 明治大学替え玉受験の際、明治大学の学校関係者に「俺は、ハンナンの浅田満利会長の側近だ。浅田会長から話がある」と、明治大学の学校関係者を脅した。その後、明治大学替え玉受験は発覚して浅田から名前を使ったことに対して、なべおさみに絶縁が下されて芸能界を追放処分となった。
  • その後、息子はたけし軍団に入団しなべやかんとして芸能活動をスタートさせた。なべが息子をビートたけしに預けた一つの理由として、なべがマスコミに散々袋叩きにされてしまい芸能界の殆どの"友人"が揃えて「なべ」と呼び捨てでマスコミのインタビューなどでコメントしてたのに対し、ビートたけしだけは「なべさんは…」と以前と変わらずに「さん」付けで呼び続けてくれていたことに大変感激したからだという。その他にも舟木一夫が何度も食事に誘ったりとなべに対して気を遣っていた。この騒動中、立川談志が結成した「シャークハンター必殺隊」になべが副隊長としての参加が決まりやる気満々で現地入りをしたものの、現地住民からは痛烈な罵声と批判を浴びてしまい、結局必殺隊としての活動が出来ずに早々と帰京した。またこの話題は各局のワイドショー番組にも取り上げられ、談志やなべらの軽率で無責任な行動に関して否定的に報じていた。
  • 上記の騒動による謹慎期間終了後、最初の仕事が『笑っていいとも!』の看板コーナー・テレフォンショッキングのゲスト出演(1992年8月12日)。この際、1年ぶりにテレビの仕事が来た事へ感謝の意を込めて、同番組ホスト役のタモリに自身がはめている腕時計を外して番組放送中にプレゼントした[出典無効]
  • 1994年12月、銀座のソミドホールで本格的に芸能活動再開。応援に駆けつけた長年の友人である尾崎将司尾崎健夫尾崎直道の尾崎三兄弟の前で、発売し損ねた『母恋酒』を涙ながらに熱唱した。
  • 2001年、自動車事故を起こした。
  • その後、一時期は吉本興業に所属し、ルミネtheよしもとの新喜劇などに出演していた。2010年2月1日、オスカープロモーションに所属して、お笑い部門の司会者をするなどした。ワイエムエヌなどの事務所を転々とするが、2019年5月1日から再び吉本興業と契約した事を、8月26日に出演した復帰初仕事の情報番組「ちちんぷいぷい」で発表した[8]

人物[編集]

  • 世田谷区の一戸建て豪邸に居住しており、「芸能人御宅訪問」でテレビ放送された時には、たけし軍団入りと同時に自宅を離れたなべやかんも出演。その時、なべやかん所有の旧車トヨタ・スポーツ800が映っていた。
  • 各界に広い人脈を持っているとされ、溝口敦のノンフィクション『食肉の帝王』では、ハンナングループの元会長浅田満の側近と描かれている。

その他[編集]

出演[編集]

映画[編集]

Vシネマ[編集]

ラジオ[編集]

テレビドラマ[編集]

劇場アニメ[編集]

テレビアニメ[編集]

バラエティ番組など[編集]

CM[編集]

舞台[編集]

ディスコグラフィ[編集]

著書[編集]

共著[編集]

関連書籍[編集]

  • 『ドキュメント女ののど自慢〈part 1〉―私の人生、唄わせて!!』(1985年3月、日本テレビ放送網
  • 『ドキュメント女ののど自慢〈part 2〉―私の人生、唄わせて!!』(1985年4月、日本テレビ放送網)

関連項目[編集]

家族
芸能関係者
所属事務所

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『ルックルックこんにちは』の「女ののど自慢」の進行役は、なべの後任は夏木ゆたかが務めた。
  2. ^ タウンページなどの広告欄にて[要文献特定詳細情報]。誌上での肩書きは「キャッシングコメンデーター」。
  3. ^ この回は息子のなべやかんが監督・脚本を手掛けている。

出典[編集]

  1. ^ 『やくざと芸能と』なべおさみ、イーストプレス、2014年、p10
  2. ^ 『やくざと芸能と』なべおさみ、イーストプレス、2014年、p15
  3. ^ 『やくざと芸能と』なべおさみ、イーストプレス、2014年、p49
  4. ^ 『やくざと芸能と』なべおさみ、イーストプレス、2014年、p52
  5. ^ 『やくざと芸能と』なべおさみ、イーストプレス、2014年、p60
  6. ^ 小林信彦『日本の喜劇人』P182
  7. ^ 「世間知らずと云われるかもしれないが、世の中にはそういう話(推薦入学の話)が有るのかな、と思った」などと発言している。
  8. ^ なべおさみ、5月から吉本興業に所属 生番組で発表”. 日刊スポーツ (2019年8月26日). 2019年8月27日閲覧。
  9. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 538, 「主要特撮作品配役リスト」
  10. ^ “北大路欣也主演「さすらい署長」第16弾、A.B.C-Z戸塚祥太がITコンサル会社社長に”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2023年4月6日). https://natalie.mu/eiga/news/519642 2023年4月6日閲覧。 
  11. ^ 松本幸大・今江大地らの「ラフテイル・オブ・アラジン」ビジュアル解禁、声の出演に速水奨”. ステージナタリー. ナターシャ (2023年10月23日). 2023年10月24日閲覧。
  12. ^ 松本幸大がギャル組長にこき使われるフリージャーナリストに「仁義なきギャル組長」”. ステージナタリー. ナターシャ (2023年2月1日). 2024年3月17日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 

外部リンク[編集]