• 12ドイム臼砲とはオランダの臼砲である。 数人で運搬可能な軽臼砲で青銅の鋳物でできた砲口装填式の滑腔砲である。仰角は固定で射程の調節は火薬の量で調節していた。 ドイムとはオランダ独自の単位で実質的にはメートル法の1センチメートルと同じである。 幕末の日本に多数が輸入され十二栂臼砲(じゅうにぼきゅうほう)と呼ばれていた。...
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  • 幕末の日本にはオランダ製の12ドイム臼砲と20ドイム臼砲が持ち込まれ、音訳して「モルチール (砲)」とも称され、このコピーが日本初の反射炉を持つ佐賀藩で初めての国産近代火砲が製造された。戊辰戦争では鶴ヶ城攻略で使用されたと言われている。大山巌が12ドイム臼砲を元に日本初の国産火砲である弥助砲(十二斤綫臼砲...
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  • 80ポンドカノン砲 青銅製。4門製造された模様。 20ドイム臼砲 青銅製。2015年現在、現地で展示されている。韮山反射炉で製造されたものと言われている。 29ドイム臼砲 青銅製。2015年現在、現地で展示されている。韮山反射炉の築造に先立ち、江川邸で作られた縮小サイズ反射炉で試作されたものと言われている。 なお、ドイム(拇)は、オランダの長さの単位で、2...
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  • でも蘭学の単位として江戸時代から使用されていた。幕末には12ドイム臼砲などオランダからの輸入火砲がドイム単位で製造されている。日本で国産化された弥助砲(十二斤綫臼砲)もドイム単位で製造されている。ただし、幕末にオランダから日本に伝わったドイムの単位は実態としてはメートル法の1センチメートルとほぼ同...
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  • 受け、幕臣・江川英龍の塾にて、黒田清隆らとともに砲術を学ぶ。 戊辰戦争では新式銃隊を率いて、鳥羽・伏見の戦いや会津戦争などの各地を転戦。また、12ドイム臼砲や四斤山砲の改良も行った。これら大山の設計した砲は「弥助砲」と称され、後に日露戦争まで長く使用された(弥助は大山の幼名から)。...
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  • 日本の軍事史 (category 外部リンクがリンク切れになっている記事/2023年12月)
    は薩摩軍の主力小銃となった。プロイセンのドライゼ銃も輸入されている。また、洋式銃は銃剣の装着が可能という特徴があった。大砲としてはオランダ製の12ドイム臼砲やフランス製四斤山砲が使用された。幕府の関口製造所や薩摩藩の集成館では砲身切削用の工作機械を輸入し、四斤山砲を国産している。他方、当時欧米で普...
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  • ドイム臼砲16門であった。 武田斐三郎先生顕彰碑 郭内にある。1963年(昭和38年)、五稜郭築城100周年を記念して建てられた。題字は太田鶴堂で、彫刻家・鈴木達が作った斐三郎のレリーフがはめ込まれている。 一万号記念桜樹碑 1923年(大正12...
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  • ており、複製した兵器を用いて人類へ攻撃を仕掛けてくる。 バタリオンには歩兵や軽戦車、重戦車や自走砲など様々な種類が存在する。また、なかにはカール自走臼砲や15砲塔戦車など強力なものも存在する。 ミリ姫大戦イラスト集 サービス終了後に発売されたイラスト集。2巻構成であり、1巻目は重装甲編、2巻目は軽装甲編となっている。...
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  • 俺の形見として家族に渡してもらいたい」と時計を託し、水盃を交わして別れを告げた。鈴木は工兵隊の中から対戦車攻撃隊を編成、対戦車攻撃隊は臼砲本体がなく持て余していた臼砲弾を橋梁上に埋設し、それを知らないイギリス軍のM3中戦車が橋梁に入るタイミングを見計らって電気点火でこれを爆発させ、M3中戦車はその衝...
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