この項目では、1218年に行われたモンゴル帝国による西遼(カラ・キタイ)の征服について記述する。 モンゴルの征服が始まる前、西遼は隣国ホラズム・シャー朝との抗争とナイマン部族の王子クチュルクの簒奪によって衰退していた。クチュルクがモンゴル帝国に従属を誓っていたカルルクの都市アルマリクを攻撃した後、西遼はモンゴルの攻撃の...
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即位したチンギス・カンは南の西夏に親征し、これを服属させた。さらに、1211年には西遼に服属していた天山ウイグル王国が帰順し、モンゴル高原西部のオイラト、トメト、カルルク、西遼などの周辺諸国に次々に遠征軍を送って帰順と征服を達成し、南シベリア、中央アジアまで勢力を広げた。...
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西遼 1200年頃の西遼の支配領域 西遼(せいりょう、拼音: Xī Liáo)は、1132年から1218年までトルキスタンに存在した国。1124年に、金に滅ぼされた遼の皇族である耶律大石が中央アジアに逃れて建てた国家である。 中国史料では遼の皇族による国家であるために「西遼...
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ナイマン (category モンゴルの歴史)
のもとに亡命したトオリルの弟の一人エルケ・カラがナイマンの支援を受けて再びトオリルを追放し、トオリルは西夏やウイグル、カラ・キタイ(西遼)など各地を放浪する事になった。やがてイェスゲイの息子テムジン(のちのチンギス・カン)が強大になったことを聞いて再びイェスゲイとの縁故を頼ってモンゴル部族の...
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ポータル 歴史学/東洋史 モンゴルの歴史(モンゴルのれきし)では、モンゴル高原を中心に興亡した国家、民族に関する通史を扱う。当該地域には2023年現在、モンゴル国および中華人民共和国内の内モンゴル自治区が存在する。 紀元前1300年代後半と推定される殷王武丁の時代の卜辞(甲骨文字)に、「土方」と呼ばれる異民族が殷の...
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遼 (category モンゴルの歴史)
遼 契丹國 遼の最大版図(1000年頃) 遼(りょう)は、遼朝(りょうちょう)ともいい、内モンゴルを中心に中国の北辺を支配した契丹人(キタイ人)耶律氏(ヤリュート氏)の征服王朝である。916年から1125年まで続いた。 中原に迫る大規模な版図(現在の北京を含む)を持ち、かつ長期間続いた異民族王朝であ...
22 KB (2,119 words) - 03:40, 25 November 2023
ジェベ (category モンゴル帝国の将軍)
のアラル海のほとりで病没した。 ジェベの死後、彼の子の忽生孫に千戸長の地位が与えられた。 西夏遠征 第一次対金戦争 モンゴルの西遼征服 チンギス・カンの西征 モンゴルのホラズム・シャー朝征服 モンゴルのヴォルガ・ブルガール侵攻 カルカ河畔の戦い ^ a b 『新元史』巻123、列伝第20...
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チンギス・カン (redirect from チンギス・ハーン (モンゴル帝国大ハーン))
の名前表記については複数の表記揺れがある(#名前の節を参照)。 大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服し、最終的には当時の世界人口の半数以上を統治するに到る人類史上最大規模の世界帝国であるモンゴル帝国の基盤を築き上げた。...
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カンクリ (category 中央ユーラシア史の民族)
ラシィード・ウッ・ディーンの「部族篇」をめぐって」『東洋史研究』第23巻第4号、東洋史研究會、1965年3月、478-507頁、doi:10.14989/152678、hdl:2433/152678、ISSN 0386-9059。 モンゴルの西遼征服 モンゴルのホラズム・シャー朝征服...
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モンゴル帝国と同時期に急成長し、西アジア最強の帝国となっていた。 1204年にチンギス・カンがナイマン部族を征服した後、1208年にナイマンの族長タヤン・カンの子であるクチュルクは西遼(カラ・キタイ)に亡命する。西遼の皇帝である耶律直魯古はクチュルクに将軍の地位と自身の娘を与え、モンゴル帝国への備えとしようとした。...
11 KB (1,617 words) - 05:36, 31 May 2023
13世紀 (section モンゴル帝国全盛(Pax Mongolica))
慶政は南宋の泉州で紙本墨書南番文字を入手する。 1218年 モンゴルに西遼が滅ぼされる。西遼の旧領はチンギス・カンの次男チャガタイのウルス(所領)となる(チャガタイ・ハン国)。 オトラル事件により、モンゴルの通商使節団がホラズム・シャー朝に虐殺され、チンギス・カンの西征が始まる。 クメール王国が南宋の宮廷に遣使する。...
120 KB (14,346 words) - 11:32, 25 February 2024