プラエフェクトゥス・プラエトリオ(古典ラテン語:praefectus praetorio プラエフェクトゥス・プラエトーリオー)は、ローマ帝国における公職のひとつである。プラエトリアニ(近衛隊、親衛隊、近衛軍団)を統率する官職であったことが名称の起源である。 プラエトリ...
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長い古代ローマの歴史の中で多様な職種でプラエフェクトゥスが随時創設されたが、役職として名のついているもので歴史上重要な役割を担ったものは以下のとおり。 プラエフェクトゥス・プラエトリオ(praefectus praetorio) 親衛隊長官(近衛軍団長)。親衛隊を統制する職務に与る。 プラエフェクトゥス・ウルビ(praefectus...
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つの部隊のうち3つをローマ市に、そのうちの1つを皇宮に配備させた。そして紀元後2年に騎士階級からプラエトリアニの最高責任者となるプラエフェクトゥス・プラエトリオを2人置くことを決定した。 アウグストゥスが逝去した後、その養子で第二代皇帝に就任したティベリウスは、パンノニア駐留軍の暴動に対して親衛隊...
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道 (ローマ帝国) (category 日本語版記事がリダイレクトの仮リンクを含む記事)
よりも上位に位置づけられていた。その統治にはプラエフェクトゥス・プラエトリオ(道長官)が当たる。「行政区」「道管区」と訳されることもある。 道が創設されたのはコンスタンティヌス1世の治世である。4世紀の後半にほぼ最終的な形となり、7世紀に東ローマ皇帝のヘラクレイオスの改革によって道の権限が縮小され、...
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いては始めの何章かが失われている。皇帝伝はおそらくはハドリアヌスの治世に書かれたものと思われ、スエトニウス本人の友人であり、119年にプラエフェクトゥス・プラエトリオであったガイウス・セプティキウス・クラルス(Gaius Septicius Clarus)に献呈されている。...
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ス」というのは皇帝になる際につけた名で、本来はディオクレス(Diocles)という。一兵卒からプラエフェクトゥス・プラエトリオにまで出世し、先帝ヌメリアヌスの崩御後、軍に推戴されて小アジア西北のニコメディアで皇帝に即位した。また、プラエフェクトゥス・プラエトリオ...
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管区 (ローマ帝国) (category 日本語版記事がリダイレクトの仮リンクを含む記事)
praefectorum praetorio, プラエフェクトゥス・プラエトリオ〈道長官〉代理)が置かれ、その統治に当ったが、オリエンス管区のみ代官ではなく総監 (comes) が置かれた。テトラルキア体制下では、2人の正帝は、それぞれ1人のプラエフェクトゥス・プラエトリオを従えていた。...
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檀紀2561年 仏滅紀元 : 771年 ユダヤ暦 : 3988年 - 3989年 228年のカレンダー(ユリウス暦) プラエトリアニが、権限を削減しようとしたプラエフェクトゥス・プラエトリオのドミティウス・ウルピアーヌスを殺害 アルダシール1世が、サーサーン朝ペルシアを建国した四年後、パルティアの征服を完了...
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トゥスの凱旋門のレリーフに残っている。その後、父ウェスパシアヌスと共同統治し、親衛隊長(プラエフェクトゥス・プラエトリオ)及び執政官職を数回務め、父の片腕として不穏分子摘発に腕を振るった。 執政官7年目となる79年に、死亡した父の後を継いでローマ皇帝となる。ティトゥス...
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オリエンス道 (category 日本語版記事がリダイレクトの仮リンクを含む記事)
プラエフェクトゥス・プラエトリオ)が統治した。東ローマ帝国の大半を占め、その中枢はコンスタンティノープルに置かれた。オリエンス道長官は東ローマ帝国において、実質的には第1の腹心として皇帝に次ぐ権力者であった。 オリエンス道は、337年のコンスタンティヌス...
10 KB (1,140 words) - 01:41, 26 September 2022
フェリオルおよびスペリオル)の総督であったマルクス・カッシアニウス・ラティニウス・ポストゥムスはライン川領域に残って統治を委任された。 ガッリエヌスの息子であるプブリウス・リキニウス・コルネリウス・サロニヌス(共同皇帝とも)とそのプラエフェクトゥス・プラエトリオ...
12 KB (1,332 words) - 07:18, 14 May 2023