• パウルス4パウルス4せい、Paulus Ⅳ、1476年6月28日 - 1559年8月18日)は、ローマ教皇(在位:1555年 - 1559年)。本名ジョヴァンニ・ピエトロ・カラファ(Giovanni Pietro Carafa)。カトリック対抗宗教改革への意欲に燃える教皇ではあったが、厳格過ぎる性格のため、敵を作ることが多かった。...
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  • ヨハネ・パウロ2(羅:Ioannes Paulus II, 伊:Giovanni Paolo II, 1920年5月18日 - 2005年4月2日)は、ポーランド出身の第264代ローマ教皇(在位:1978年10月16日 - 2005年4月2日)。ヨハネス・パウルス2、ヨアンネス・パウルス2...
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  • ローマ教皇ローマきょうこう)を指す。バチカン市国の元首。教皇の地位は「教皇位」あるいは「教皇座」と呼ばれる。また「聖座」あるいは「使徒座」という用語も使われる。「聖座」と「使徒座」は中世の教会法学者たちによって形成された概念で、第一に教皇を指すが、広義においては教皇...
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  • パウルス3(Paulus III、1468年2月29日 - 1549年11月10日)は、第220代ローマ教皇(在位:1534年 - 1549年)。本名はアレッサンドロ・ファルネーゼ(Alessandro Farnese)。イエズス会を認可し、プロテスタント側との対話を求め、教会改革を目指してトリエント公会議を召集した事で知られる。...
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  • パウルス2(Paulus II、1417年2月23日 - 1471年7月26日)はルネサンス期のローマ教皇(在位:1464年 - 1471年)。本名はピエトロ・バルボ(イタリア語: Pietro Barbo)。 バルボはヴェネツィアの出身で、エウゲニウス4の甥であった。当時の慣習で、伯父が教皇...
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  • パウルス5(Paulus V、1552年9月17日 - 1621年1月28日)は、ローマ教皇(在位:1605年 - 1621年)。シエナの名門ボルゲーゼ家の生まれ、本名はカミッロ・ボルゲーゼ(Camillo Borghese)。教会の権益を擁護すべくヴェネツィア共和国やイングランド王ジェームズ1世との交渉を繰り返した。...
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  • パウルス1(Paulus I、700年 - 767年6月28日)は、第93代ローマ教皇(在位:757年5月29日 - 767年6月28日)。第92代ローマ教皇であるステファヌス3の実弟である。 出身はローマで、裕福な貴族の家系だった。教皇就任前は助祭を務めた。757年4月26日に兄の教皇が死去したため、5月29日に教皇に選出された。...
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  • 教皇パウロ6によって、司牧経験の少ない人物としては異例の枢機卿に叙任された。1981年、ローマ教皇庁の最も重要な部局のひとつである教理研究所の所長に任命された。2002年から教皇に選出されるまで、首席枢機卿も務めた。教皇になる前は、ヨハネ・パウロ2...
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  • パウロ6(ラテン語: Paulus VI、1897年9月26日 - 1978年8月6日)は、第262代ローマ教皇(在位:1963年6月21日 - 1978年8月6日)。カトリック教会の聖人。パウルス6とも表記される。本名はジョヴァンニ・バッティスタ・モンティーニ(Giovanni Battista...
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  • パヴィーア、ボローニャ大学で法学と医学を学び、1525年に教会法と市民法の博士号を取得、法律家として名声を博した。1527年にローマへ赴き、教皇庁最高記録官の1人となる。パウルス3の信任を得て寵臣となり、兄と弟が教皇の家族と結婚していたことも相まって、1542年か...
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  • 4の後援を受けて1605年4月1日に教皇位についたが、選出のわずか26日後にを去った。 彼が教皇の座に就けたのは、トスカーナ大公フェルディナンド・デ・メディチの影響力が大きい。この元枢機卿はレオ11の死後も力を遺憾なく発揮し、次の教皇にはパウルス5(スペイン派)を選出させている。...
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