• トゥメト(モンゴル語: Түмэд,Түмд、ᠲᠦᠮᠡᠳ 中国語:土默特 Tǔmòtè、英語:Tümed,Tumad)は、モンゴルの一部族。トメトトゥマト,トゥメド,トマトとも表記される。 別名をモンゴルジン、モンゴルジン・トゥメトトゥメト・モンゴルジンともいい、トゥメト...
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  • トゥメン(トゥメト、オルドス、ヨンシエブ)の平定である。この戦役ではモンゴルが2つの勢力に分断され、ダヤン・ハーンに忠実な左翼3トゥメンとダヤン・ハーンに反抗的な右翼3トゥメンとの戦いという形になり、『アルタン・ハーン伝』はこれを「2つの大ウルス(左翼3トゥメンと右翼3トゥメン)の不和」と表現している。...
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  • れていたが、これをモンゴル語年代記では「ダヤン・ハーンの六トゥメン(万戸)」と表現している。「ダヤン・ハーンの六トゥメン」は左翼のチャハル・ウリヤンハン・ハルハと右翼のオルドス部・トゥメト・ヨンシエブから成り、その一部(チャハルやオルドス部)は近現代においてもその名を行政区画の名称として残している。...
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  • に率いられて攻撃を仕掛けたが、遂にボディ・アラク・ハーン、アルタン・ハーンらに討ち滅ぼされた。 滅ぼされたウリャンカイの部衆は残る五トゥメンに分割され、一説にはトゥメトのモーミンガン部、オルドスのウラト部とケウケト部はウリャンカイ征服によって増設された部族とされる。ウリャンカイの故地にはゲレセンジェ...
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  • 1576年、38歳の時、腰刀を結ぶカルマ・ラマと会って、仏法の門に入って六トゥメンを集め、大政令を伝え示して、左翼のトゥメンからチャハルのナムダイ・ホンタイジ、ハルハのウイジェン・スブハイ、右翼のトゥメンからオルドス部のフトゥクタイ・セチェン・ホンタイジ、アストのノム・ダラ・グラチ・ノヤン、トゥメト...
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  • トゥメンを背景に即位し、サイン・アラク・ハーンと称した。しかし、ボディは左翼三トゥメンの勢力を結集し、叔父に迫って退位させ、ボディ・アラク・ハーンとして即位した。1542年、オルドス部・トゥメンのグン・ビリク・メルゲン晋王が亡くなると、ボディ・アラク・ハーンはその弟であるトゥメトトゥメ...
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  • トゥメトトゥメンのチェグト部のホーサイ・タブヌンの家に居たバルス・ボラト一家は、オルドス・トゥメンのコブート部のテムルら7人と共に右翼を脱出し、左翼にいる父ダヤン・ハーンのもとへ逃れた。ダヤン・ハーンはテムルら7人に太師や大ダルハンの称号を与え、右翼三トゥメ...
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  • ドルベイ・ドクシンが初めて活躍するのは1217年(丁丑)のトゥメト族の叛乱討伐の時で、この時ドルベイ・ドクシンは「四駿」の一人ボロクルとともにトゥメト族の住まうモンゴル高原北西部に派遣された。しかし、密林の小道を進軍する際にトゥメト族の奇襲を受けてしまい、ボロクルはここで戦死してしまった。これ...
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  • トゥメンと呼称され、明朝からは卜剌罕衛と呼称された。15世紀半ば、エセン・ハーン死後の混乱の中でカチウンの子孫であるドーラン・タイジはドローン・トゥメト(Doloγan Tümed、7トゥメトの意)を率いて活躍し、その死後もドローン・トゥメトは発展して「ダヤン・ハーンの6トゥメン」の一つとして知られるに至った。...
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  • トゥン(賢明なる妃、モンゴル語: ᠮᠠᠨᠳᠤᠬᠠᠢ ᠰᠡᠴᠡᠨ ᠬᠠᠲᠤᠨ Мандухай сэцэн хатан)」と称されることもある。日本語ではマンドフイ・ハトンとも表記される。 モンゴル年代記の一つ『蒙古源流』によると、マンドゥフイはトゥメトトゥメ...
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  • ドーラン・タイジ(モンゴル語: Doγolang Tayiǰi、中国語: 多郭朗台吉、? - 1476年)とは、15世紀後半におけるモンゴルジン=トゥメト部の統治者である。チンギス・カンの弟カチウンの後裔であり、ボライ・タイシと組んでマルコルギス・ハーンを弑逆するなど活躍したが、最後にはマンドゥール...
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