ジャサク)は世襲制で、もとのモンゴル諸部族長が任命された。『蒙古遊牧記』において、ハルハ諸部は「外蒙古ハルハ4部86旗」に分けられ、かつての3ハーン部に加えてサイン・ノヤン部がハルハ4部の1部となっている。清朝はサイン・ノヤン部とジャサクト・ハーン部...
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トゥメン・ジャサクト・ハーン(モンゴル語: Түмэн засагт хаан、ᠲᠦᠮᠡᠨ ᠵᠠᠰᠠᠭᠲᠤ ᠬᠠᠭᠠᠨ 英語:Tümen Zasagt Khan、1539年 - 1592年)は、モンゴル帝国の皇帝(ハーン)であり、チャハル・トゥメンの当主である。ダライスン・ゴデン・ハーンの長男。...
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ン部の領主となった。ダヤン・ハーンの時代には「王の者たち」という意味で、オンリュートと呼ばれる集団に属した。 1624年、ホルチン部の王族は後金(後の清朝)のヌルハチと姻戚関係となり、同盟を結ぶ。後金(清朝)の第2代皇帝ホンタイジの5人の皇后のうち、3人はホルチン部...
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ハーンはモンゴリアの統一を目指して征西を行い、これによってハラチン・ハーン家、トゥメト・ハーン家は滅亡した。しかし、ハラチン・ハーン家の属下にあった朶顔衛は滅亡を免れており、後金改め清朝の下で朶顔衛を中核に「ハラチン部」は再編成された。 チンギス・カンの時代、ウリャンカイ部ジャ...
20 KB (3,328 words) - 12:38, 29 September 2023
『蒙古遊牧記』が示す「外蒙古」4部は以下のとおり。 トゥシェート・ハーン部(土謝図汗部) サインノヤン部(賽音諾顔部) チェチェン・ハーン部(車臣汗部) ジャサクト・ハーン部(扎薩克図汗部) 両文献とも、「内」「外」を冠して「蒙古」と称するのはゴビ砂漠の南北に分布する北元系の...
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バルス・ボラト・サイン・アラク晋王…ダヤン・ハーンの三男 ボディ・アラク・ハーン(1524年 - 1547年)…ダヤン・ハーンの長男トロ・ボラトの子 ダライスン・ゴデン・ハーン(1548年 - 1557年)…ボディ・アラク・ハーンの子 トゥメン・ジャサクト・ハーン(1558年 - 1592年)…ダライスン・ゴデン・ハーンの子 ブヤン・セチェン・ハーン(1593年...
14 KB (1,912 words) - 09:17, 16 October 2023
ドーラン・タイジは1465年にハラチン部のボライ・タイシと組んでマルコルギス・ウケクト・ハーンを弑逆し、オイラトのオシュ・テムルと協力することで勢力を拡大した。 1475年、マンドゥールン・ハーンが帝位に即くと、「ウケクト・ハーンの仇を討つ」と称して出陣し、ドーラン・タイジを殺してドローン...
21 KB (3,260 words) - 12:33, 29 September 2023
モンゴル民族 (category 日本語版記事がリダイレクトの仮リンクを含む記事)
モーミンガン部 ウラト部 ハルハ右翼部 イフ・ジョー盟 オルドス部部 チェチェン・ハーン部以下二十三旗 トシェート・ハーン部以下二十旗 サイン・ノヤン部以下二十四旗 ジャサクト・ハーン部以下十九旗 アラシャン・オーロト部 エジネ・トルグート部 青海地区 ホシュート二十一旗 チョロース二旗 ホイト一旗 トルグート四旗...
36 KB (4,374 words) - 05:31, 6 June 2023
モンゴル系民族 (category 日本語版記事がリダイレクトの仮リンクを含む記事)
部が帰還した。これも現在のオイラド族となる。 ダヤン・ハーンによって再構築されたモンゴル帝国は左翼のチャハル、ハルハ、ウリヤンハイと、右翼のオルドス部、トメト、ヨンシエブの6トゥメンに分かれ、やがて現在のモンゴル国に当たる地域にはハルハ系のチェチェン・ハーン部、トシェート・ハーン部、ジャサクト...
28 KB (4,164 words) - 11:02, 29 December 2023
部は打撃を受け、トルグート部やホシュート部のように単独で1部を維持することはできず、清朝の統治下で少数の旗(ホショー)が残るのみとなった。 青海ホイト南旗 ホイト旗(ジャサクト・ハーン部に附属) ホイト下前旗(ドルベト右翼遊牧に附属) ホイト下後旗(ドルベト左翼遊牧に附属) クト...
11 KB (1,696 words) - 08:39, 8 October 2023
来の名誉ある称号「司徒」をアルタンに授け、アルタン・ハーンが「ゲゲン・ハーン」と称することを承認した。 1557年、ダライスン・ゴデン・ハーンは38歳で崩御し、翌年(1558年)長男のトゥメン太子がハーン位を継いだ。 トゥメン・ジャサクト・ハーン ジョント太子 ダライ・バガ・ダルハン ダイチン太子...
4 KB (452 words) - 21:22, 7 June 2022