• 命・彦火火出見尊(神武天皇)を得た。父と末子は同名の彦火火出見尊である。久しくして崩じ吾平山上陵に葬られた。 なお、鵜戸神宮(宮崎県日南市)はウガヤフキアエズ生誕時の産屋の跡と伝えられる。 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと) - 『日本書紀』 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ...
    9 KB (944 words) - 07:49, 23 February 2024
  • ウガヤフキアエズ王朝(ウガヤフキアエズおうちょう)は、偽書とされる古文書の中で日本にかつて存在したとされる古代王朝である。 『ウエツフミ』「竹内文献」『神伝上代天皇紀』などの古史古伝に記載されている神武天皇以前の古代王朝で、火火出見命の子の鵜葺草葺不合命が開いた王朝とされる。...
    23 KB (2,222 words) - 09:17, 29 May 2023
  • に降臨し(天孫降臨)、子のホオリが兄・ホデリを懲らしめた旨とともに兄の子孫の隼人が今も天皇に仕える由来だと述べ(山幸彦と海幸彦)、ホオリの子・ウガヤフキアエズは初代天皇・カムヤマトイワレビコ(神武天皇)の父である旨を記している。のち、神武天皇は日向から東征に赴くこととなる(神武東征)。...
    14 KB (1,978 words) - 08:19, 9 April 2024
  • ウガヤフキアエズ)の陵に治定されている。 可愛山陵・高屋山上陵と合わせて「神代三陵(神代三山陵)」と総称される。 720年の『日本書紀』は、初代神武天皇は、父の天津日高 彦波瀲武 鸕鷀草葺不合尊(アマツヒコ ヒコナギサタケ ウガヤフキアエズ...
    9 KB (1,334 words) - 02:31, 8 September 2023
  • 『上記』(うえつふみ)は、いわゆる古史古伝と呼ばれる文書の一つであり、一般に偽書とされる。ウガヤフキアエズ王朝を含む古代日本の「歴史」などが豊国文字で書かれている。 1837年(天保8年)に豊後国(現在の大分県)で発見された。『上紀』、『上津文』、『上つ文』、『ウエツフミ』とも書き、『大友文献』、『...
    8 KB (1,267 words) - 18:36, 30 March 2024
  • たらしめのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)。玉依姫命(タマヨリビメ (日向神話))は初代天皇となる神武天皇の母親となる神。ウガヤフキアエズ(またはウガヤフキアワセズ)の命との間の子が神武天皇。 能『鉢木』において佐野源左衛門が鎌倉幕府 執権 北条時頼より賜った領地として「松井田庄」の名前が挙がっている。...
    14 KB (1,861 words) - 12:14, 27 March 2024
  • に降臨し(天孫降臨)、子のホオリが兄・ホデリを懲らしめた旨とともに兄の子孫の隼人が今も天皇に仕える由来だと述べ(山幸彦と海幸彦)、ホオリの子・ウガヤフキアエズは初代天皇・カムヤマトイワレビコ(神武天皇)の父である旨を記している。のち、神武天皇は日向から東征に赴くこととなる(神武東征)。...
    21 KB (3,139 words) - 08:16, 9 April 2024
  • ^ 菊池武房を始祖とする肥後の甲斐氏が家督争いに敗れ日向高千穂に土着した例がある。 ^ 同神社は、国津神トヨタマヒメの子のウガヤフキアエズの子で紀国出征の際に死亡した彦五瀬命(神武天皇兄)に、豊玉姫が配祀されている。 ^ この時期からのみで考えれば、710年(和銅3年)建立の豊前...
    23 KB (3,360 words) - 10:32, 12 April 2024
  • 台霧の瀬」が、平成17年度手づくり郷土賞(地域整備部門)受賞。 『豊西記』にある「日と鷹神話」によれば、大昔の日田盆地は、東西五十余町、南北百余町ほどの湖であったが、地神第5代ウガヤフキアエズ命のとき、東からやってきた大鷹が湖で羽をひたして北へ去った直後、突如として大地が鳴動し、雷光が走ったことによって湖の西の端が崩れて湖の水が湖外...
    5 KB (830 words) - 08:13, 25 June 2022
  • 、1889年の町村制実施時にも姶良村して発足するが、1947年の町制施行の際に「吾平」に戻された。 吾平山上陵の位置について『日本書紀』には「ウガヤフキアエズが日向国の吾平山上陵に葬られた」と記されている。 日向国というと宮崎を連想するが、『日本書紀』が記述された時代には南九州一帯が'日向'と呼ばれていた。...
    25 KB (3,650 words) - 08:34, 20 February 2023
  • 近世、所在について種々の検討が行なわれた。 現在の治定地は鹿児島県(大隅国)であるが、大隅国は和銅6年(713年)にすでに日向国から分離して成立していたところ、日本書紀は720年にウガヤフキアエズが日向国(宮崎県)で没した旨を記録していることなどから、本来の神代三陵の場所は、宮崎県であるとする説が根強い。...
    5 KB (907 words) - 05:37, 4 February 2024