• ポータル クラシック音楽 『イーゴリ公』(イーゴリこう、原題:Князь Игорь)は、アレクサンドル・ボロディンによって書かれたオペラである。中世ロシアの叙事詩『イーゴリ遠征物語』を題材に、1185年、キエフ大公国の(クニャージ)イーゴリ・スヴャトスラヴィチによる、遊牧民族ポロヴェツ人(韃靼人...
    9 KB (1,114 words) - 06:05, 17 June 2021
  • イーゴリ遠征譚』などがある。 『イーゴリ遠征物語』は、1185年の春にノヴゴロド・セヴェルスキーイーゴリが遊牧民ポロヴェツ人(コンチャーク)に対して試みた遠征の史実に基づいた物語である。はじめポロヴェツに対して勝利し、やがて敗れ囚われの身となったイーゴリ公...
    15 KB (1,496 words) - 10:38, 18 October 2023
  • ジーミル大公として認められたのである。ちなみに、ボロディンのオペラ『イーゴリ公』として有名な「イーゴリ遠征物語」の主人公イーゴリ公のモデルイーホル・スヴャトスラーヴィチが活躍したのは、フセヴォロド3世の時代である。これは、イーゴリ公とその2番目の妻ヤロスラヴナの愛と嘆きがオペラにされていることで有名...
    10 KB (1,100 words) - 19:33, 30 August 2023
  • 進出してきたイタリア諸国の人々とも密接な交渉を持った。 『イーゴリ軍記』…12世紀末におけるキエフ・ルーシの文学作品。ノヴゴロド・セーヴェルスキーイーゴリ2世がポロヴェツ(キプチャク)のコンチャク・ハンとの戦いで捕虜になる話。 『イーゴリ公』…アレクサンドル・ボロディンによって書かれた未完のオペラ...
    76 KB (10,219 words) - 11:08, 3 February 2024
  • イーゴリ2世(イーゴリ・オリゴヴィチ)(ロシア語: Игорь Ольгович, ウクライナ語: Ігор Ольгович、? - 1147年9月19日)は、キエフ大公スヴャトスラフの孫、チェルニゴフオレグの息子である。兄にはキエフ大公フセヴォロドがいる。プチヴリ公:1127年 - 1142年、ベレスチエ=ドロギチン公:1142年...
    5 KB (417 words) - 01:27, 22 April 2020
  • イーゴリ1世(古東スラヴ語・ロシア語:Игорь、ウクライナ語:Ігор、865年あるいは877年? - 945年)は、キエフ公国の大公(在位:913年/923年 - 945年)。ルーシの祖というべきリューリクの子とされるが、リューリクの子ではないという説もある。オレグ摂政の死後、キエフ大公国の支配者となった。...
    14 KB (2,070 words) - 14:08, 4 February 2024
  • 省略することが多い。序曲や「ポロヴェツ人の行進」などと併せて『イーゴリ公組曲』とすることもある。 題名になっている「韃靼(だったん)人」あるいは「ポロヴェツ人」に関する詳細は「タタール」「キプチャク」、また「イーゴリ遠征物語」「イーゴリ公」を参照。 第8曲「韃靼人の娘の踊り」、第17曲より「全員の踊り」...
    19 KB (1,192 words) - 22:07, 14 September 2023
  • やはり1869年には、オペラ『イーゴリ公』に着手、これはボロディンの最も重要な作品とみなされている。しばしば単独で演奏され、おそらく最も有名な作品となっている「ポロヴェツ人の踊り(だったん人の踊り)」と「ポロヴェツ人の行進(だったん人の行進)」は、『イーゴリ公...
    12 KB (1,364 words) - 09:51, 7 April 2024
  • イジャスラフ4世 (category テレボヴリ公)
    )は、テレボヴリ公:1210年 - 1211年、プチヴリ公ならびにノヴゴロド・セヴェルスキー:? - 1235年 、キエフ大公:1235年 - 1236年、カミェネツ:1240年ごろ。 イジャスラフは、伝統的な説としてはイーゴリ・スヴャトスラヴィチ(『イーゴリ軍記』のイーゴリ公...
    9 KB (988 words) - 11:20, 19 April 2020
  • 『教育ニ関スル勅語』(教育勅語)発布 長瀬商店が花王石鹸を発売 11月1日 - 日本鉄道: 上野から秋葉原まで貨物線を延長 11月4日 - アレクサンドル・ボロディン歌劇「イーゴリ公」初演(マリインスキー劇場) 11月7日 - 帝国ホテル開業 11月11日 - 凌雲閣(浅草十二階)開業 11月22日 - 國學院開院 11月24日...
    15 KB (1,967 words) - 10:33, 30 March 2024
  • の町であったノヴゴロドを支配下に置き、キエフ現地の大公朝を滅ぼし、自分の幼い息子イーゴリをキエフの統治者にした。その摂政であったオレグは、キエフの元でキエフ大公国(ルーシ)を建国して、死後にイーゴリに譲った。イーゴリの息子、スヴャトスラフ1世はキエフ大公国をさらに拡大させた。その数人のキエフ支配...
    42 KB (1,071 words) - 14:46, 9 March 2024