• イコノクラスム(英語: iconoclasm, ギリシア語: εικονοκλασία, εικονομαχία)とは、宗教的に崇められる画像を破壊する運動である(英語においては「因習の打破」の意味もあるが、本項では「破壊運動」に当たる事項のみを扱う)。 聖像破壊運動(せいぞうはかいうんどう)、偶...
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  • 高橋保行によれば、レオン3世がイコン廃止を打ち出した時期には、イコン反対論者が多く存在していたアルメニア、シリア北部出身の兵士が帝国の防衛にとって重要となっており、彼らへの配慮がイコン禁止令の背景にあったとされる。ただしイコノクラスム(聖像破壊運動)の原因については、イコノクラスムを行った(イコ...
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  • エイレーネーはイコノクラスムイコン破壊運動)には否定的で、イコン破壊令を破棄してイコン復活策を採用した。しかしそのため、イコノクラスムを支持する一派がコンスタンティノス6世と結びついて、エイレーネーと対立した。もともとコンスタンティノス6世は母親と不仲なこともあって、イコノクラスム...
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  • エイレーネー (東ローマ女帝) (category 東ローマ帝国のイコノクラスム)
    イア公会議を開催した。この公会議ではタラシオスが進行役となり、イコノクラスムを根拠付けた754年のヒエレイア教会会議の決議は無効とされ、イコノクラスムを異端として宣告、聖像崇敬は公式に認められることとなった。これにより、エイレーネーはイコンに描かれ、テオドルスにより作られた修道院などでは聖人として扱われている。...
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  • 檀紀3059年 ベトナム : 仏滅紀元 : ユダヤ暦 : 726年のカレンダー(ユリウス暦) 東ローマ帝国皇帝レオーン3世が聖像禁止令を公布(イコノクラスム (聖像破壊運動) の始まり)。 ウェセックスの国王イネ、王位を退位、ローマへと巡礼の旅に出る。 実忠、奈良時代の僧 (+ 没年未詳) 代宗、唐の第11代皇帝...
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  • 万侶没する(銅板墓誌が発見されている)。 日本の元正天皇譲位し、聖武天皇(首皇子)即位する。 東ローマ帝国皇帝レオーン3世が聖像禁止令を公布(イコノクラスム(聖像破壊運動)の始まり)。 日本で長屋王の変。長屋王、謀反の疑いで窮問されて自殺する(46歳)。口分田を班田する。京・畿内の班田使を任ずる。諸国の防人を停止する。...
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  • テオフィロス (category 東ローマ帝国のイコノクラスム)
    コンスタンティノポリスを拠点とする中央艦隊をつくったが、それが彼の時代に大きな成果をもたらすことはなかった。 一方で、レオーン5世時代以来のイコノクラスムイコン破壊政策)を継承した。目立った方策をとらなかった父ミカエル2世とは異なり、彼はコンスタンティノポリスを中心に修道士への弾圧を行うなど、強圧...
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  • ミカエル2世 (category 東ローマ帝国のイコノクラスム)
    レタ島もアレクサンドリアからやって来たイスラーム教徒の侵略を受けた。 権威づけのため、イサウリア王朝(シリア王朝)の第4代皇帝コンスタンティノス6世の娘のエウフロシュネと再婚した。また彼はレオーン5世が再開したイコノクラスム政策を継承したが、過激な弾圧は行っていない。 [脚注の使い方] アモリア朝...
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  • 780年)。同王朝第2代皇帝コンスタンティノス5世の子。「ハザロス」は母エイレーネーがハザールの出身だったためにちなむあだ名。 イコン破壊運動(イコノクラスム)に対して寛容な態度を取ったため、イコン破壊運動は鳴りを潜めた。病弱で、780年に30歳で死去。残された子供のコンスタンティノス6世が幼かったため、レオー...
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  • 国とランゴバルド王国との間で苦悩し、両国と有効な外交関係を築くことが出来なかった。一方で東ローマ帝国のコンスタンティノス5世とも聖像破壊運動(イコノクラスム)をめぐって対立している。このように外交関係を樹立できず、問題を山積するだけだったパウルス1世の時代に教皇庁では多くの党派が生まれ、パウルス1...
    2 KB (221 words) - 07:26, 18 January 2024
  • ン3世がイタリアの支配地に重税を課そうとするのに強硬に反対して対立する。レオーン3世はこの報復として イコン崇敬を異端であると見なし、726年にイコン崇敬の禁止令を出して聖像破壊運動(イコノクラスム)を開始し、さらにグレゴリウスに対しても聖像破壊運動を正式に承認するように圧力をかけた。グレゴリウス2...
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